2016年12月30日

今年の意味

こんばんは、2016年も残すところ、あと実質ほぼ一日ですね。
ええい、2016年なんて早いとこどっか行ってまえ!!!
…と、投げやりな捨て台詞を吐き捨てて走り去りたいところですが
でももしかしたら
私は今年、(自分について)今まで知らなかった大切な事を知ったのかも知れない…と
思い当たる節がない訳でもないのですが
でも、それが本当なのかどうかは、後にならないと分からないのですよね。

今の私には知る事が出来ないだけで
2016年は本当はすごく大きな意味を持つ年で
後になって振り返った時私は、ここで起こった変化を知るんだ―――


そういう未来図を描いてみよう… なんて柄にもない発想をしてしまうのはきっと
絶望の中でこそ、わずかな希望は最大限の光を放つからなのでしょう。
…少し悲しい言い方をすれば
希望って、絶望の中でしか輝かないんですよね。

なんであの人って、あんなに美しいのに悲しいのだろう…
尊氏の事を考えに考えて
そんな答えに辿り着いたのは、そう言えばこの2016年の事でした。



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2016年12月29日

2017年って…

こんばんは、そういえば来年の2017年は
『応仁の乱』開幕年の応仁元年(1467)から550年なんですよね。
550… 550… それってつまり…

 GO!GO!O-ninの乱!! じゃないですか!!

時を超えた情熱が、今再びたぎる!!
熱き西軍の夏休み、再始動!! ゴーゴーおーにん☆ ゴーゴーおーにん☆☆


…いや、いいよ。もうゴーしなくていいよ。
ゴーゴーご迷惑だよもう。
だいたい君ら、11年のうち大半は駄弁(だべ)ってただけなの、知ってるのよ?
無駄にノリ良かったの、始まった瞬間だけだったじゃないの。
だから室町って言われるんだよ。
しかも最後は "牛ネタ" で京都総ズコー!! って何それモウ

まあでも、数少ない西軍ファン(唯一?)の私としては
「ゴーゴー応仁☆西軍キャンペーン」を実施したいところですが…
ところなんですが…
来年の事なんて、全然予想がつかない (´;ω;`)
義就に他力本願するしかない時点で、私のギリギリ感、マジ応仁…。




そんな事より、やはり来年は
直義御降臨の徳治2年(1307)から710年記念ですよ!!
「三条殿 Come back キャンペーン☆☆」ですよ!!

(※最近の三条殿関連記事は…
 11月27日「三条時代のノスタルジア」
 11月30日「Dear 三条」



ああ、絶望の淵にあってさえ温かな夢に包まれる… 私の親愛なる三条殿…
(応仁野郎との扱い方が月とすっぽん)


というか、御降臨って…
直義は神仏かなんかなのかね… と自問自答したくなりますが
まあ、直義偏愛マニアな私にとっては神でも仏でも地蔵でも、もう何でもいいのですが
しかしこれ、あながち私のアホな心酔妄想でもない… かも…かもかも…
「え、どうなのよそこんとこ…」と
何かと隠し事の多いポーカーフェイス尊氏さんに、突っ込んでみたら
(´・з・)〜♪ …って、またすっとぼけられてしまいました。



…という訳で以上、2017年の運勢を室町で占ってみました。
まとめ↓

本命、三条殿(直義)
対抗、応仁
穴、義勝(7代目将軍) (←まあ、ないな)
大穴、七條殿(足利高経) (←ない、これはない)



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2016年12月28日

太平記元年

こんばんは、そう言えば、今年の年始はどんな事考えていたんだっけ…と思って
『Muromachi通り』の正月の記事「正月奉納連画2016 第三弾」(2016.1.3)の後半を
何となく読み返してみたら
一年前の私は
「the truth in 太平記」なんてやや痛目なキャッチコピーまで作ってわくわくしていました。
きっと鳳凰は舞い降りるのだと、そんな期待を本気で
片羽の尊氏と直義に重ねていました。

太平記時代の真実が明らかになっていくようにと、一年続けた私の祈りは
どこの空に消えてしまったのだろう…
夏から一歩も動けなくなって、残された時間はあと三日。
でも…
あと三回祈ろう、届かなくても、私にとっての「太平記元年」を。



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2016年12月27日

今年のごめんなさい

こんばんは、そろそろ暮れも迫って来ましたね。
今年は、本当はもっと尊氏直義時代の話を進めたかったし
太平記の中の話にも触れたかったのに
何も思うように行かなくなって、気付けば年末です。
本当にごめん…と、自分の研究に謝るだけしか出来ません。

「室町」からしたら、太陽暦の年の瀬なんて何の意味も無いのかも知れないけれど
1か月後の旧暦の年末だって
「今年は良い年だった」と笑っている自分がいるなんて、想像出来る訳もなく
でも…
信じてみようか。
諦めるのはいつでも出来るし、信じるのはタダだし
あともう少しだけ「今」を頑張れば、未来は来るのかも知れないと。



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2016年12月26日

年末年始は「六韜三略」

こんばんは、昨日の記事にちょっと追記しておいたのですが…
「執事高師直は、尊氏より直義との関係の方が深い」って
ちょっと言い過ぎってゆうか、流石に語弊がありますよね。
「(尊氏だけではなく)直義 "とも" 」ってすれば気持ち伝わるかな?(どんな気持ちだ)

最近、私が高師直に言及した記事は
10月8日「これからの世界」
10月13日「優しい人」
…ですが、まあつまり私がとにかく言いたいのは
直義は本当に優しい主君! ってか、優し過ぎるからああなった!!
直義は人を信じ過ぎるのですよ…


まあ、私も性善説で人を信じてしまう所があるので、気持ちは分かるのですが。
「きっとこの人も普遍的な価値観を持っていて、正しい判断が出来る人だ!」
ってすぐ思ってしまうのですが、でも…
人ってやぱっり
(普遍的な)善悪や正邪よりも、(個人の)好悪や自己利益で動いているんですよね。
それが当然だ、何が悪いんだ、…と言われるだけなのでしょうが
それでも私は…
どうしても、普遍的なものに最大の価値を見出してしまうし、その美しさに憧れてしまうので
現在にそれが絶えて久しいなら、書物の中に、歴史の中に
私と同じものを美しいと感じる人を、求めてしまうのです。


そんな私が出会ったのが、「論語」や「孟子」、「六韜」や「三略」
そして室町時代の彼らな訳です。


例えば『応仁の乱』の世代なら…
8代目義政の弟の足利義視(よしみ)とか(義政は違うんだ…)
あとは、畠山政長大内政弘持是院妙椿朝倉孝景… 辺りが、そういう意味ですごく好き
それから6代目義教も。

しかし何といっても、室町創生期の…
足利尊氏直義、武家のみならず花園法皇光厳上皇夢窓国師
彼らは私の中で次元が違う…というか、すべての原点というか
尊敬と憧憬… それでも言葉が足りません。


彼らの価値観、是とするもの、行動原理、根底に流れる条理
そういうものを理解しようと思ったら、やはり上に挙げた漢籍を読む必要がある…というか
これを知らないままでは
『観応の擾乱』をはじめとする時代のすべてが理解不能です。(…と、個人的には思います。)


面倒なら「六韜」「三略」だけでも、年末年始のみかんのお共に是非!!
ってか、これだけ繰り返し読めばもう他は要らない! …って思う。

"君徳論" としての「六韜」「三略」については
本サイト『2-9』「愛読書は、『六韜』『三略』」で概要を紹介しましたが
主君としての尊氏と直義を深く理解したかったら
これは必須ですよ、うん。


室町の理解はここから始まる!…というくらい
彼らの心に流れる目に見えない価値観は、時代という形に反映されているのです。



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2016年12月25日

直義と命鶴

こんばんは、今朝の夢の話なんですが… 直義と命鶴が出てきました。
ちなみにビジュアルは自分のキャラデザ。
(命鶴の絵はまだちゃんと描いた事はありませんが、イメージはもう出来上がっています。)

『Muromachi通り』「夏休みの宿題(その2)」(2015.9.12)でちょっとだけ触れましたが
饗庭命鶴丸(あえば みょうづるまる)は、かの有名な尊氏の寵臣です。
 「容貌当代無双の児」(by『太平記』)
という衝撃的な形容で、後世の人々の妄想を掻き立て続けています。


さて、どんな夢だったかというと…
命鶴が、何やら直義に御指名(?)を受けたとかで
みんなに冷やかされながら直義の所に向かうのですが
別にみんなが期待するような変な意味ではなくて
直義は、兄尊氏の事で悩み事があったのですが、直接本人には聞けず
命鶴から間接的に聞き出そうと思って、命鶴を呼んだのです。
御所の一室で食事をしながら、話し合う二人…
その結果、直義の心配事は杞憂だった事が判明すると
すっかり安心して緊張の糸が切れてしまったようで
酔いが回った直義は、その場で仰向けになってすやすやと寝てしまい
その無垢な寝顔を見て、命鶴がほっとしていた

…とかいう、オチも年齢制限も無いぬるい内容で
面白くなくてすみません。


まあでも、直義と命鶴という組み合わせは珍しい…というか
二人はほとんど接点がない、という印象が強いかと思います。

私もまだあまり詳しい事を知らなかった頃は、直義ファンとして
尊氏に気に入られている命鶴は、なんかちょっと悔しい存在だったのですが
(え、そんな心の狭い直義ファンは私だけですか… )
そのあまりの悔しさから(←全然ちょっとじゃない)
命鶴が気になって気になって徹底的に情報をあさったところ
意外な事実が判明しました。


なんと、命鶴は―――
もともと尊氏より直義との関係が深かったらしい!!


ズコー!! …とか思われるでしょうが、冗談じゃなくてマジなんですのよ。
そんな話聞いた事ないでしょうが
(私は今の所、他に見た事はないのですが… どうだろ?)
私も以前は、命鶴は尊氏がどっかから見つけて来た出どころ不明の美少年で
そんなのにうつつを抜かしまくる尊氏に、直義はきっと内心イライラしていただろう…
とか思っていましたが(←心狭すぎる発想)
命鶴は元を辿れば… 直義なんですよ。

例のごとく、今は詳しい解説が出来なくて申し訳ありませんが
命鶴に嫉妬してた全直義ファンへ、私から安眠をプレゼント致します。
(↑心狭すぎるクリスマスプレゼント)


というか、足利家の執事高師直も(尊氏より)直義との関係の方が深いとか
(↑これはあくまで、直義が京都で実質トップだった時期、政務上とか幕府内での関係で
 現在思われている以上に直義との(とも)関係が深い …という意味です。(翌日追記))

色々言いたい事言いまくっていますが
でも本当、直義は面白いですよ。
面白すぎて目が離せない… って、尊氏も思っていたんだろうな…



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2016年12月24日

京都写真で一休み

こんばんは、さて今日は
ちょっと息抜きに、昔行った京都旅行の写真でも紹介したいと思います。

昔…といっても、今からちょうど6年前の事ですが
2010年〜2011年の年末年始に京都旅行に行った時のものです。
2010年の秋に歴史に出会って間もない頃
知ったばかりの知識と生まれたばかりの好奇心で駆け巡った京都の記録です。
まあ、この頃はまだ『応仁の乱』しか頭になく、知識も極めて拙いものでしたが
それでも私にとって、2010年夏までの、先祖を辿る "当てもない旅" とは違う
初めて "目指すもの" を持った「歴史の旅」となりました。


という訳で… まずは新幹線から、朝の日に富士山。


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いきなり京都関係ありませんが、なんか… "始まった感" をアピール。


続きまして、雪の「上御霊社」(※現「御霊神社」)。
応仁元年(1467)正月、『応仁の乱』前哨戦が行われた場所です。
詳しくは本サイト『2-8』「天に告ぐ!上御霊社の戦い」を。


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雪…ってゆうか、大雪ですが。
ちなみに当時も雪が降っていましたが、雨のち雪だから、こんな大雪じゃあなかろう…

ずもずも

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ずもも…

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関東住みの私が、京都でこの大雪に遭遇する確率って一体…


お次は…「哲学の道」にいた猫。 にゃー


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…はっ! こ、この猫は… 兄弟に違いない!!(妄想)
左が兄で、右が弟に違いない!!(も)
兄の態度にすっかり拗ねて、ぷいっと地蔵と化す直義に
恐る恐る近付いてつっつく尊氏…

尊氏「た、直義ちゃん? ね、直義ちゃん?? (つんつん」
直義「ぷいっ」

…なんてぬくぬくな妄想を道中繰り広げてい―――た訳がないじゃないですか!!
私はこの時点で、まるで尊氏直義が頭にありません。
なんたって…
京都に行ったにも拘わらず「等持院」に行ってないのですよ! この私が!!
義材のマニアで、義教の信者で、尊氏がタレ目だってだけで悶えるこの私が!!!
何たる失態…
昔の自分のアホさに全身全虚無。


では最後に「南禅寺」の椿(つばき)で "無の境地" に達したいと思います。


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ちーん。 椿(ちん)なだけに。



ところで、2008年から2010年の夏にかけて「先祖を辿る旅」を繰り返したと言いましたが
実は、この頃の写真は一枚もありません。
未来も希望も無い当時、「思い出を記録しよう」なんて、発想すら起こらず
ただ自分の中に "今" として焼き付けておけばいいと思っていました。

この京都旅行を記録したカメラは、2010年秋にパソコンを新調したのと同時に
「資料用に良い写真いっぱい撮ろう!」と張り切って購入したデジカメで
この旅が最初の歴史探索となりましたが
ただ、関西方面の旅行自体は、この旅を含めてまだ2回しか行けていません。
2010年の夏で私は一旦旅を終え、その後は机に向かって歴史に没頭すると心に決めたので。

そろそろまた京都行きたいなぁ…と、当分叶いそうにない計画に
せめて憧れだけでも遠い空に染まりたくて、昔の旅をめくり直してみました。



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2016年12月23日

再び、冥界の君へ

こんばんは、とりあえず一連の過去話が終わったのでまとめです。
まあ、そんなもの晒し上げなくてもいい気もしますが
一応、冥界への報告という事で…
過去ログの「2016年12月」の12月22日までを通しで読むと意味が通じます。
以下、タイトル見出し↓

「冥界の君へ」 「頭の外と、夢の中」
「過去」
「離脱」
「挫折」
「鎌倉写真で一休み」
「旅」
「記憶」
「出会い」
「決意」
「一回休み」
「嚆矢」
「二回休み」 「三回休み」 「四回休み」 「五回休み」
 「六回休み」 「七回休み」 「八回休み」 「九回休み」
「家系図」
「旧恩」


さて、これでいよいよ尊氏さんを追い詰める事が出来ました。
…というか、先祖の旧恩とか言いながら、尊氏さん丸裸にしようとか
恩を仇で返しているような気がしないでもありませんが
でも、尊氏さんはちょっとマゾな所があるんで大丈夫です。…いや失礼
責任感が強過ぎて、自分を犠牲にして人や天下の幸せを実現しようと考える人なのです。
だけどそういう所を人に知られるの、すごく恥ずかしいのでしょう
とても、強い人だから…

でも、それはとてもかっこいい所だと思います。

少なくとも私は、あなたの事を知って世界一かっこいい人だと思いました。
知れば知るほど魅せられて、出会うはずのなかった出会いに、運命を信じました。
だからどうしても… あなたの心を開きたい。



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2016年12月22日

旧恩

こんばんは、それでは昨日の続きです。
私が、この曽祖父作成の家系図を初めて目にしたのはいつだったか?という事ですが
残念ながら正確な年月は思い出せず、ただ
私の中で「初代が○○」のワロスネタがまだホットだった頃
大学の研究室で、たまたまそんな(先祖関連の)話題になった事があって
その時私は先輩相手に「うちの先祖○○なんですよw ○○www」
と軽々しく笑った事があったのです。
そんなの伝説だろうし、日本人なんて元を辿ればみんなそこに行きつくでしょw
…という軽い気持ちで。

それが確か、大学4年の秋から冬にかけての頃。
そうすると、私が初めて家系図を見たのはそれからさほど遠くない時期
おそらく同じ年、大学3年の終わりから大学4年の前半の出来事だったように思います。


 そういえば、あの頃だった―――


長い間しまったままだったそんな記憶を、ふと思い出したのは
今から2年前、2014年12月の初めの事でした。

その秋から、なぜか不思議に引き付けられて探求し始めていた尊氏直義時代
本格的な研究には、これから半年一年とかかる事になるのですが
わりと早い段階でいくつかの信じられない真相に気付き
まるで夢を見ているかのような日々を送っていた頃、記憶が淡く舞い戻ったのです。


 私が初めて家系図を見たのは、大学4年の頃だった
 そして私の人生は、あれから大きく逸れていった


思えば、学校を辞める事になった最初の切っ掛けも、突然に起こった不可解な不運で
やがて芽生えた「私はここを出て行かなければならない」という強過ぎる決意も
その後に悉く遮断された "歴史以外の道" も
私には、理屈では理解出来ない事ばかりだった。


 あの時学校を辞めていなかったら
 私は生涯、尊氏の秘密を知る事はなかっただろう
 全く異なる道を歩んで、歴史とは縁のない人生を送っていただろう
 すべては繋がっている
 あの家系図は、私の物語の "始まり" だったのだ―――


そして私は、辿り着いた未来で
『観応の擾乱』の真相を、「尊氏の秘密」を知る事になった。
それだけではなく、『応仁の乱』や『明応の政変』「6代目義教」についても
多くの誤解に隠された真実を知って、それをどうしても伝えたいと
誤解に苛(さいな)まれるこの人たちの、本当の姿を知ってもらいたいと
それはまるで、何かに促されるような不思議な衝動で
それが私の研究の原動力であり続けました。


 「 旧恩 」


"始まり" である家系図と、その先の "未来" である尊氏を結ぶ運命。
私の先祖の、室町時代に一時代を築いた宗家は
足利一門でも源氏でもありませんが、とても、本当に心から足利将軍家に恩のある一族で
それは、時代が始まった南北朝動乱期から、戦国に最後を迎えるその日まで
変わらず抱き続けた、厚い、熱い恩義でした。

あの人たちの旧恩に報いるために
先祖の思いを受け継いで、私の持てるすべてを捧げるように―――
当時の私は何を感じる事も無く、ただ笑っていたけれど
あの家系図は、私にそれを託すための合図だったのだ…


実は、私の曽祖父が家系図を整えた理由の一つは
当時勤めていた銀行を、部下の不祥事の責任を取って定年前に退職する事になり
それで時間だけはたくさんあったから、だったそうです。
だとしたら…
もし定年まで勤めていたら、その後はそこまでの時間や気力は無かったかも知れない
もし曽祖父が、初代から繋がる立派な家系図を残してくれなかったら
私はそれを目にする事もなく、先祖の思いを託される事もなかっただろう…

後付けで過去を繋げる感傷は愚かだと問いながら
それでもそこに、物語を見てしまうのです。


 もうずっと前から決まっていた事なんだ


そう思った時私は、重かった過去が軽くなるのを、少し優しい追憶の中で感じていました。






…という訳で、これで話は終わりです。

下らない話を、なんで私は今になって突然語っているんだろう…
とは自分でも疑問に思いつつ、しかしそれもまた意味を持つのだろうと知る私は
この過去を、先祖への所信表明と、尊氏さんへの約束に代えたいと思います。


私はすべてを語ったから、今度はいよいよ… あなたの番です (ハート



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