2016年03月09日

『Muromachi通り』通信【足利家長関東編】

こんばんは、新コーナー『Muromachi通り』通信です。
これからメインブログ『Muromachi通り』最新記事をUPした時は
こちらでお知らせしようと思います。

という訳で今夜は…
「室町的鎌倉旅行記(その2)…の続報「足利家長関東編」」
です。
家長について、まだまだ語ります。


ところで、私は歴史上の人物のイメージを練る時は
基本的に(現代の基準で)
 「見た目は20代、中身は30〜40代
くらいを想定してキャラ設定をしています。
分かり易く言えば
身体的には最盛期だけど
おっさんが入り込み始めた頃です。

まあ、例外はありますが(特に応仁世代)
最近のメインでは尊氏直義や、足利高経上杉憲顕
みんなそんな想定です。
このくらいが一番心情的に豊かで、妄想上動かし易いので。


しかし、今回の主役の足利家長
享年数え17歳(12月25日没だからたぶん満16歳)なので
見た目も心も永遠の少年でおっさん成分皆無!
…という眩し過ぎる稀少キャラ
なかなか描くのが大変でした。
というか、正直上手く描けませんでした。ごめんよ家長 (´・ω・`)

室町人気向上のためにも
おっさん分にばかり傾倒してないで
純心な少年も描ける様に精進したいと思いました。



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2016年03月21日

『Muromachi通り』通信【家長と兼頼編】

こんばんは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は…
「室町的鎌倉旅行記(その2)…の続報「家長と兼頼編」」
です。

なぜ「鬼切」兼頼に伝わったのか?
…という伝来が気になって気になって仕方なくて
足利高経の長男家長と、その従兄弟兼頼の関係を
私なりにこれでもかと突っ込んでみましたが
ただし
 「「鬼切」相伝の真相は、家長と兼頼の関係にある」
という前提が間違っていたら
最初から最後までまるで見事に無駄になる
という、一歩間違えれば顔面蒼白な考察です。
((((;゚Д゚)))) アワワワワ…

でもなんか無性にのめり込んでしまったので
思う存分思ったままに考察してみました。


ところで、この源氏の宝刀「鬼切」
兼頼を祖とする羽州探題最上家が代々相伝したのち
現在は京都の『北野天満宮』に奉納されています。
で、この「鬼切」は一説に
同じく源氏累代の「髭切」(ひげきり)同一のものとも考えられていて
『北野天満宮』でもそうしているようですが
うーん… どうなんだろ?
別の太刀という見解も多いようですが
まあ、それこそ刀のみぞ知るですね。

別なら名刀二振り存在した事になるし
同じなら一振りの名刀二つの伝説が刻まれている事になるし
どちらにしても夢のある話であります。


ちなみに、名前が混同して「鬼切丸」とも呼ばれていたりして
色々と謎めいていますが、いずれにしても…

『北野天満宮』に現存する太刀は
南北朝期に高経から兼頼に受け継がれた源氏累代の「鬼切」である


…というのは、確実な事実です。
高経ファンとしては果てしなくロマンです。


まあ、高経自身が所有していた時期は
おそらくほとんど無かったんですけどね。
高経「鬼切鬼丸」二振りともせこくくすねたとかいうの
あれですからね!
どっからどう見てもてきとーな嘘ですからね!!(しつこい)


こんな宝刀をに快く授けてしまう高経様、マジ君子です。



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2016年03月29日

『Muromachi通り』通信【二周年です】

こんばんは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今回は、本サイト開設記念日の特別回
「二周年です」
です。

初心に返って『明応の政変』を語ってみました。
初代尊氏の孫のひ孫の11代目足利義材(よしき)の話題です。
というか
私の "原点公方" とか言いながら
一年振りの登場って…

まあでも
久々に『明応の政変』関連の史料資料を見直して
ちょっと懐かしさにも浸れて楽しかったです。
でもかなり記憶が薄れているのを実感して絶望です。


ところで
『明応の政変』『観応の擾乱』を一通り探究して思ったのですが…
なんか似てるんですよね、この二つ。
もちろん、見た目も中身も全然違う事件のはずなんだけど
ふとしたところで片隅リンクする、というか
何度もデジャヴ(既視感)を体験した… ような気がします。

もしかして、彼らは輪廻の中にいた… いやむしろ
室町の歴史 "そのもの" が、壮大な輪廻だったのかも知れない…
Σ(゚Д゚ )!!???



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2016年04月08日

『Muromachi通り』通信【二周年…のおまけ】

こんばんは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、本サイト開設記念の特別おまけ
「二周年です(…のおまけ)」
です。


※※※以下、今日は少々ネタバレがありますので  
    どうぞ元記事を読んでから御覧下さい※※※



ようやく明応世代の一押しメインキャラ
畠山尚順を紹介出来て感無量です。
観応組に先を越されて、すっかり後発の新顔となってしまいましたが
私の中では明応メンバーは
かなり馴染みの深い古株だったりしますので
以後、よろしくお願い致します m(_ _)m


今回は、畠山尚順に焦点を当てた話になりましたが
『明応の政変』から京都凱旋
さらにその後の時代にかけて活躍する義材の仲間達
他にもたくさんいて
特に、周防・長門国の大内義興(よしおき)抜きには
この時代の半分も語れていない感じです。
(※大内義興は、『応仁の乱』での西軍筆頭大内政弘の嫡男)


というか、今回義材自身の動向も全然語れていないし…
なんて忘れられがちな公方なの。

(大雑把に言うと義材
  "政変〜凱旋返り咲き" までの15年間のうち
 前半は北陸の越中国畠山尚順の分国、ただし尚順は紀伊在住)
 ハーフタイム越前国に1年ちょっと朝倉貞景の分国)
 後半は西国の周防国大内さんのとこ)
 …に滞在していました。)


あとは、やはり伊勢一族
それから公家周辺の動向も(かなり)重要ですが
 (↑実はここが "天下の真相" に直結する超核心ポイント)
まあ続きはまたいつか。




ところで、どうでもいい話なんですが
実は尚順の如来名をどちらにするかですっごい悩んでて
最初の候補はこっちだったんですが…↓


畠山尚順


「無自覚英雄王子救国野生如来」を
  ↓
「無自覚英雄秘仏救国野生如来」にした。


"源氏の御曹司" という最強の王子属性が見事に希薄…
 (↑都落ちして野生に返ってしまったため)
というもったいなさが気になって
無理矢理前面に押し出してみようかと思ったのですが
でも、500年間ろくに御開帳されていない未確認秘仏も捨てがたくて
うーーーーーん
どう思いますか?


いや、おめーの考えた妄想如来名なんでどうでもいいよ!!
…とは、私も痛いほど思いますが
でもどうもこういう細かい事が
気になって気になってしょうがな… うん、まあいいか。


(※ちなみに「秘仏」(ひぶつ)とは
 厨子(ずし)などに納めて、普段は人に見せない仏像の事です。
 一年うん十年に一度、特定の日に公開されるものが多い。
 厨子は、仏像・経典などを安置する仏具で
 正面に両開きの扉がついた篭もり箱。 こもこもぬくぬく。)




まあ尚順は半分が義就ですからね
王子とか秘仏とか言われても本人は意味不明でしょうが。
ちなみにもう一つ
尚順について個人的に気になる所があって
"不思議なくらい色んな属性を持つ" という所なのですが…


戦の豪快さは義就に、戦の上手さは政長に
没落時の生命力は義就に、窮地での底力は政長に
義就のように一方的な政略でしょっぱい人生を歩まされながら
再び返り咲いても、政長の如く誰にも怨みの色を見せず
そして―――
我が世の春を目の前にして引き篭もる隠居聖人(ってゆうか隠居星人
なところは
尊氏を彷彿とさせるという… Σ(゚Д゚ )!!???


しかもなんか似ているんですよね
尊氏が政務から離れた "人には言えなかった理由" と
尚順が京都から離れた "人には言わなかっただろう理由" が。

前者は直義の為、後者は義材の為ですが
もう一箇所違うのは
尊氏は輪廻を "知っていた" けれど
尚順は(たぶん)知らずに輪廻の中に生きていた

という点でしょうか。


すみません、またなんか意味不明な事を言い出してしまいましたが
義材尚順というのはどうも
尊氏直義以来の "何か" を強く受け継いでいる気がしてならなくて…
もしかしたら
尊氏直義に始まった "伝説としての室町"
義材尚順と共に眠りに就いたのかも知れない…




☆☆今日のワンポイント☆☆

実は義材は、かなりの尊氏ファン



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2016年04月29日

『Muromachi通り』通信【2016年GW企画】

こんにちは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、去年始めた毎年恒例GW祈願
「2016年GW企画 国宝『神護寺三像』」
です。


観たいーーっっ!!
生尊(なまたか)生直(なまただ)観たいーーーっっ!!!
…とのた打ち回って一年が過ぎました。
今年もまた悶々(もんもん)の刑に処される事になろうとは…
私ごときが御対面を望むなど、きっとまだ半万年早いのでしょう。
そんな (´;ω;`)

溜まりに溜まったもんもんエネルギー
そろそろ豆電球くらいなら点灯しそうな勢いですが
今は我慢の時だと思って、慎みたいと思います。



というか、最近の世の中の流れがつら過ぎて
色々考え込むと苦しくなって来ますが
例えば直義みたいに
人の痛み世の苦しみを、自分の苦しみのように思って


『風雅和歌集』
しづかなる 夜半の寝覚に 世の中の 人のうれへを おもふくるしさ

(静かな夜にふと目が覚めると
 世の人々の憂い悲しみが胸に押寄せて… 苦しい )


『新千載和歌集』
うきながら 人のためぞと 思はずは 何を世にふる なぐさめにせん

(この憂いの多い世の中で、人の為だと思わなければ
 何を生きていく慰めにしたらいいのか… )



なんて歌を残してしまう綺麗過ぎる心の持ち主にとっては
今の世の中は汚れ過ぎてるよなぁ…
などと、考えてもどうしようもない事を考え出すと
せっかく点いた豆電球すら消えそうに凹んで来ます、はい。


せめて過去の中に、美しいものが実在した事が知れ渡れば
が少しは変わるかも知れない…
そう思って
歴史からの真実の再発掘に、全力を投じています。



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2016年06月19日

『Muromachi通り』通信【大休寺殿に捧ぐ詩】

こんにちは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、ちょっと寄り道して
「故令叔大休寺殿に捧ぐ詩(うた)」
です。

若干頼りない独自解説ではありますが
他の方の考察の参考になればと、私の思うところをとりあえず全部語ってみました。


この詩はどうも、すべて実際のエピソードを素材にしてるらしい…
という事はすぐに気付いたのですが
墨染めの衣という印象的なそれらが
物語と見紛(みまが)うほどに美しく描写されていて
漢詩ど素人な私でも、目前に当時の情景が甦る感覚を覚えました。

これは基氏の想いの深さか、義堂周信の技量の為せる業(わざ)なのか
それもあるけれどやはり…
ここまでの詩が生まれるほどに、直義愛されるものを持った人だったんだ…
というのが、私の一番の感想であります。



ところで、この詩が作られたのは
貞治3年(1364)2月26日の直義十三回忌だろうと推測しましたが
実はこの年は、尊氏の七回忌の年でもあります。
(※尊氏は延文3年(1358)4月30日卒)

年忌の法要はだいたい
一回忌(1年目)、三回忌(2年目)
七回忌(6年目)、十三回忌(12年目)、三十三回忌(32年目)

…辺りが重視されていたようですが(あとは百回忌(99年目)とかも)
尊氏七回忌に際して長寿寺殿(=等持院殿に捧ぐ詩は
「空華集」には見当たらなかったような…


あれ… 基氏? どうなってますの?
とかいう話は置いといてw
まあ、尊氏は大きな争乱がひとまず終息してしばらく経った頃
(一時的にとは言え)平穏と言える日々の中でで他界したのだし
基氏亡き実父尊氏の菩提を弔う為
鎌倉の『長寿寺』(尊氏のお墓がある)を整えていますから
当然法要は欠かさなかったろうし、心から冥福を祈り続けていたでしょう。

それから尊氏の鎌倉滞在時(観応3年(1352)正月〜文和2年(1353)7月末)
に教えられた(しょう)をちゃんと習得していたり
その後の鎌倉のしっかりした統治を見ても、着実に父尊氏の跡を継いでいますから
実の父は実の父で尊敬し、また敬愛していた事は確かですが
そうするとむしろ、突っ込むべきは…

尊氏スルーではなくて)「直義への追慕が尋常ではない」

という点なのではないかと。


つまり、この三部作から読み取れる基氏の感じ方
直義の死因についての若干の考察材料になるんじゃないか?と私は思うのですが…




直義コードの☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆予感!?




『太平記』にあるように
直義の突然の死が病死(黄疸)」と発表された事も
それを聞いた世間の人々が「(尊氏による)毒殺を噂した事も事実だとは思います。
その上で私は諸般の事情から
「病死」という発表は、直義が自ら命を絶った事を伏せる為の口実だと考えていますが
(…ただ、最近ほんの1%だけ別の可能性も考え中(後述↓))
一応「真相は闇の中」という前提で話を進めてみますと…

普通に「病死」という抗いようのない運命だったとしたら
10余年も経てば、もう少し気持ちの整理が付いていてもよさそうな気がするのですが…
いやもちろん、何年経とうが忘れられない悲しみがある事も事実ですが
ただこの時代は、今よりもずっと死別というのが身近にあって
寿命も50〜60年生きればそれなりに全うしたと言えた訳で
心から愛する養父とはいえ、享年46歳
(まあ、直義にはまだ何十年も生きて欲しかったけど)
しかも、子供の頃の感受性って大人ほど悲観的ではないと思うし
それなのに、数え13歳の少年の心にここまでの記憶を残した真相って…
と思うと、やはり何か事情があって

 「もっと生きていたはずなのに先立ってしまった」

という悔やみ切れない最期だったのではないか…?と、思ってしまう訳です。

其の二「対花懐昔」の第一句で
 「紛紛世事乱如麻」つまり『観応の擾乱』に触れていて
 何かしらの関連を感じさせるのも気になるところ。)




そうすると、「毒殺」か「自ら命を絶った(服毒)」か… となって来ますが
しかし流石に毒殺だったら、ここまで養父直義を慕って止まない基氏なら
尊氏に明確な反抗心を示すか
遁世するなりの強硬手段に出ていてもおかしくないと思います。
禅宗への姿勢を見ても、その後の鎌倉の統治を見ても
 基氏は実はかなり芯が強い。)


まあ毒殺説に関しては、その他の事情を勘案しても
尊氏にとって直義を守る理由はいくつも有れど、自ら失う理由は一つも無く
実は最も有り得ない選択肢だったりするのですが、一応確認しておきました。
(※直義の最期についての考察は、今のところ概略ですが
 『Muromachi通り』「暑中御見舞い申し上げます」の前半もどうぞ。)



という訳で私の結論としては、この三部作
「直義が自ら命を絶った事の僅かながらの補強材料となるのではないか
と考えているのですが…
『観応の擾乱』が起こらなければ、こんな運命をたどる事も無かっただろうし。)

ただ、幼い基氏が当時どこまで正確な真相を知り得たか?という問題もある訳で
もしかしたら基氏自身は
「不自然なまでの突然の急逝」という事しか知らなくて
しかし大人たちが言う「病死」という理由も、状況からはとても信じられず
真相が分からなかったがゆえに
一連の擾乱が養父直義を追い詰めたのではないか… という思いが残り
ここまで悲しみを抱え続ける事になってしまった
という可能性も無きにしも非ず…


(てゆうか、『太平記』には
 「2月26日忽(たちま)ちに死去し給ひけり、俄かに黄疸という病に犯され…」
 とあって、さらに「天正本」だと
 「(それまでは)病床に伏し給う事もなくて …… 俄かに逝去(黄疸で)」
 とさえ書かれていますが、全然酒豪でも無さそうな直義
 いきなり黄疸でしかも一晩で死に至るなんて事有り得るんだろうか…??
 とか思うけど、まあこれ以上病死説に突っ込まなくてもいいか。)


…とすると
その場合の真相の可能性としては「自らの服毒」というのも考えられますが
ただ、それ以外の "もう一つ" として…
(基氏が元服した2月25日の翌朝というピンポイントな日時である事から
 かなり確率は低くなるけど)
本当に "たまたま" の自然死だった、という場合が考えられ
もしそうだとしたら、それは―――

 「直義の事だから、召されるべき時に天に召されたってだけ」の話

とかいう "天の仕業" だった可能性が…

(すみません、おかしな事言っている様ですが
 どうも直義は若干人智を超えた不思議ちゃんな所がある、というか…
 すみません、やっぱり変な事言いました。)




ちなみに、当時「自ら命を絶つ」といえば普通は切腹であって
服毒というのは特殊過ぎるように思われるかもしれませんが
私は "とある理由" から
(基氏だけじゃなく)それこそ尊氏にさえ、一目では原因が分からなかったくらいに
直義の最期は "静寂な姿" だったのではないかと考えています。
(だから服毒天の仕業だろうと。 …え、は無いって?)


いずれにしろ、前夜2月25日の光王(=基氏)の元服式までは
なんの変わりも無く元気だったのではないかな
いつものように、優しく微笑んでいたのでしょう。



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2016年07月07日

『Muromachi通り』通信【君の願いは…】

こんばんは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、思いっ切り季節もの
「君の願いは…」
です。

今日、新暦7月7日の七夕から
旧暦7月7日(=新暦8月9日)の七夕まで
あれこれ願い事でも考えながら、のんびり星合いの季節をお楽しみ下さい。



さて、本文の方は直義一色となってしまったので
こちらでは尊氏さんのネタで
後花園天皇6代目将軍義教時代の勅撰和歌集『新続古今和集』より
七夕の心を詠んで頂きたいと思います。


 七夕の 涙の露に 天の川 水かげ草や 猶なびくらん

(きっと今頃は、天の川の川辺の草が七夕の涙に露と濡れて
 なびき続けているのだろう… )


(※水かげ草(水陰草)…水辺に生えている草。)


一年に一度、七夕の夜の逢瀬を終えて
織姫彦星が別れた後の空の様子を詠っています。


ってゆうか、またそうやって悲しい系の歌で攻めてくる… (´;ω;`)


本人も、誰かと別れなければならなかったり
自由に逢う事が許されなかったりした悲しい思い出でもあるんでしょうか?
尊氏にとっての織姫って…
とか妄想し出すと、一ヶ月もあっという間に過ぎてしまいます ><



…とは言え
尊氏があの康永3年(1344)新邸へ引っ越したのは、なぜだと思いますか?

(※当時の尊氏邸二条高倉鷹司東洞院 にお引越し)については
 本サイト『2-4』「始まった場所」をどうぞ。 地図もあります。
 ちなみに地図だけならこちらにも→『Muromachi通り』「室町御所map」



これは一つには、朝家を護る武家として "内裏の南" に仕える為だったと言えますが…
ただしこれは(おそらく)表向きの理由です。

というのも『梅松論』で「朝家守護したい」と言っているように)
そういう "気持ち" があったのは決して嘘ではありませんが
幕府の代表者として光明天皇光厳上皇に参じていたのは主に直義だし
この時代はまだ、足利将軍が自邸に天皇の行幸を受ける程の関係・地位にはなっていない
…という、実体が伴ったものではなかったので。


つまり、ここでも尊氏 "ある本心" を隠していたと…



うん、まあいいか。
でも、それまで(北)「尊氏邸」「等持寺」「直義邸」(南)
とすぐ近くにぴったりくっついて住んでいたのに、ずっと北に引っ越しちゃって
本当の理由を知らなかった直義は、さぞ寂しい思いをしたでしょう。
(…という事を示唆する史料的証拠がある。)


だけど―――
本当は尊氏の方が、もっと悲しい思いを隠していたのかも知れない…



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2016年08月01日

『Muromachi通り』通信【将軍兄弟profiling】

こんばんは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、先日の七夕回「君の願いは…」の追記
「将軍兄弟プロファイリング」
です。

最近、本題から外れて言いたい事ばっか言ってますが
なんか言えと言われているような気がしたので言ってみました。

今日の話は、これまた結果のみのフライング解説な上に
思いっ切り尊氏直義プライベートに切り込んだ話題(私の趣味全開)なので
夢見る妄想にしか聞こえないかも知れませんが
誓って、史料(大部分は一次史料)を基に相応の時間をかけて導いた
客観的考察である事を約束します。



※※以下、微妙に核心を含む本当にどうでもいい話※※
『Muromachi通り』の本記事画像を御覧になってからどうぞ




【MUROMACHI−ファイル #CASE 1】

mFBI(=室町連邦捜査局)将軍兄弟のプロファイリングを急遽特注し
逃走犯の行方を追う「Kyoto 侍所 CITY POLICE」
果たして、捜査状況は好転するのか!?

そもそも今回の事件は
頼むから大人しく将軍やっててくれって言ってんのに
隙あらば逃避行を謀る将軍兄弟に痺れを切らした洛中警察「侍所」(さむらいどころ)
二人の身柄拘束するという快挙暴挙)に出たところ
取調べ開始前に、隙を見て逃走されてしまった事が発端であった―――
って、なんたる失態か!!
侍所威信にに関わるでしょうが!!
至急、総力を挙げて逃走犯再拘束に努めて下さい!!

それでは以下、総指揮官侍所頭人(さむらいどころとうにん)の弁です。



緊急事態発生!! 緊急事態発生!!



ど〜も〜 Kyoto 侍所 CITY POLICE ですっ! にゃは☆
いや〜参った参った
ったくちょれぇな尊氏は!! とか余裕ぶっこいていたら
マグショット撮ってる間に脱走されるとはにゃ〜 面目無いにゃり、にゃはは☆
(※mug shot … 逮捕時に撮られる顔写真)

だってファインダー越しにあのタレ目見てると超むかつくにゃりよ?
しかも尊氏の野郎
「おおそうか、そんなに俺の事が好きか、好きなだけ撮れや!!www」
とかほざきながらポーズ決めて煽りまくって来たもんだから
むっちゃむちゃ腹立って
高景ぇ〜! おーい高景ぇ〜!! 俺と撮影替われ! こいつマジむかつく(怒怒怒」
ってカメラぶん投げて高景探しに行ったら
戻ってきた時には既にもぬけの殻だったにゃ にゃは☆

(※朝倉高景(たかかげ)は、室町時代最初期の朝倉家嫡流
 『応仁の乱』でオーバークロックしていた朝倉OC孝景(たかかげ)の
 ひい祖父ちゃん祖父ちゃん。)



大失態だにゃ〜 まんまとやつの策に嵌ってもうたにゃ〜
でも超くやしいから
mFBI総動員やつのプロファイル作成して洛中全域にぶん撒いてやったわ!!
にゃははははは!!! ざまみろだにゃ! にゃは☆にゃは☆

これで後は再拘束も時間の問題…
ってゆうか!! なんで俺が侍所頭人やってんだよ!!
顕氏ぃ〜! おーい顕氏ぃ〜!! (←細川顕氏(あきうじ))
これおめーの仕事だろうがよ!!
…え、何? 洛中に捜査員配備するのに手間取ってそれどころじゃないって?
捜査本部総指揮は俺に頼むと…
はぁ〜 それじゃあ仕方ないな、現場は任せた!がんばれよ
てゆうかあんまりテンパるなよ、また変な誤解されて噂になるからな(←『園太暦』)
あの話、今ではあほ尊氏の躁鬱ネタとして爆笑されてるらしいぜ!
負けたくせに、なんか勝ったつもりでいるのかとち狂った事言ってる」ってよ
にゃははははは腹痛ぇぇぇーーーーwwwww
あれは、本当はおまえがヘマって…
ああいや、こっちの話、こっちの話。


という訳で仕方ない
俺が侍所頭人やって尊氏追いかけてるなんてバレたら、超絶黒歴史とはいえ
もうしばらくは猫被ってやってるしかないか… ったく…(ブツブツ…)

まあぶっちゃけ俺はあんなタレ目どうでもいいんだけどさ〜
ほ、ほんとなんだからにゃ! マジ俺はあんなやつどうでもいいんだからにゃ!!
たださ〜 うちも将軍いないと困るんだよねー
なんだかんだいって、あいつマジで本物の…
おっと、こっちの話、こっちの話。 にゃん☆にゃん☆


あっそうだ、捜査の進捗状況はどうなってるかにゃ〜
ま、現場に繋ぐのもめんどいし、ネット中継でいっか(ぽちっ)


- - - - - - - -
えー、たった今入った情報によりますと
洛中を徘徊中の不審な二人組みが、捜査員職質を振り切って逃走し
京都から東の下野(しもつけ)方面に向かったとの事です。(※下野国=栃木県)
目撃者の証言によると、二人は逃走中の将軍兄弟に酷似しており
捜査員に呼び止められた途端

「俺は故郷に帰って「鑁阿寺」(ばんなじ)の隅っこで始めるんだっ!!
 直義と二人きりの人生をやり直すんだぁぁぁーーー!!!」

などと意味不明の発言を繰り返しながら手に手を取り合って全力疾走で駆けて行ったといい
Kyoto侍所ではmFBIに協力を要請し
捜査範囲を広げて犯人の行方を―――

(※分国または都道府県をまたがる捜査は、mFBIの担当です。)
- - - - - - - -



って、ええぇぇぇーーーーー!!!
洛中脱出かよ!! ってか何やってんだよ顕氏!!
それじゃ侍所の管轄じゃなくなるじゃねーか!
…ん?そっか、じゃあ後はほっと…く訳にはいかねぇな
まだそんなに遠くへは行ってないだろう、よし
国清ぉ〜! おーい国清ぉ〜!! (←畠山国清(くにきよ))
河内・和泉・紀伊あたりの軍勢総動員して全力でタレ目の追跡に当たるにゃりよ!!
意地でもひっ捕まえろよ! 尊氏は2〜3コたんこぶつけてもいいぞ、直義は無傷でな!
…って、え、何?
いま耕耘機(こううんき)と肥料の手配でそれどころじゃないって?
はぁ〜 それじゃあ仕方ないな、他あたるか…
……。
って、おめーはタレ目の逃亡生活支援してんじゃねぇよ!!


ったく、どいつもこいつもどうなってんだよ!!
こうなったら俺が直々に出陣するしかねぇ…じゃなかった、にゃいにゃりよ、にゃは☆
奥羽大崎最上(もがみ)に動員かけて東西から挟み撃ちにしてくれるわ!!
にゃははははは!!!


- - - - - - - -
えー、たった今入った情報によりますと
逃走中の犯人にそっくりな二人が洛北「等持院」でほのぼの抹茶を頂きながら
仲睦まじくお庭を眺めているとの目撃情報が…
- - - - - - - -



って、えええぇぇぇーーーーっっっ!!!
ちょ、おま、もう新幹線乗っちゃったよ!! どうすんだよ!!
おいストップ! ストップ!!
ああもう近江過ぎてんじゃねえかおい!!!
高景「あ、すみません、コーヒードーナツを2つずつ…///」
っておめーはくつろいでいる場合か!!
ああもうああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー…… ん?
まあでも… うまそうだな
はぁ〜 仕方ない、鎌倉観光でもして帰るか

ぱくっ、もぐもぐ…



☆おしまい☆





その頃―――

重能ネット中継の件、これでよろしいでしょうか、将軍
(↑上杉重能(しげよし)。上杉憲顕(のりあき)の従兄弟で、尊氏直義の従兄弟でもある。)

尊氏「おう!上出来上出来!! ったくちょれぇなあいつは、にゃはははは!!」



足利兄弟尊氏直義


今年の夏は、逃避行中将軍兄弟を探す旅に出掛けたい。



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