2017年08月16日

『新千載和歌集』の隠し扉(その2)

おはようございます
「『新千載和歌集』の隠し扉(その1)」の続きです。


(※以下、歌の出典は…
 【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】
 歌の意訳は私による適当です。)



以前、このブログでも紹介した
直義の清さを象徴してやまない有名な和歌の一つ


うきながら 人のためぞと 思はずは 何を世にふる なぐさめにせん

(この憂いの多い世の中で、人の為だと思わなければ
 何を生きていく慰めにしたらいいのか… )


これは『新千載和歌集』に撰出された歌なのですが
今日はこの和歌の意味を
周辺和歌との「配列」から考えてみたいと思います。



まずはじめに、(勅撰集の)和歌の配列について
簡単に復習(と予習)をしておきますと
和歌の配列には意味があり
 主題や含意、キーワードに関連性共通項を持つように並べられている」

(※配列の具体的な方法については、各種様々な手法があるようです)
という、基本の一つはだいたい分かって頂けたかと思いますが
これはつまり、和歌を文学的に見た場合の規則性です。

一方で、和歌というのは個人の作品ですから
「どういう思いを込めて誰が詠んだ歌か」という
私的な側面も重要になってくる歌もある訳で
そのような歌の場合
テーマ・単語の共通項のみならず
具体的「思い」や、「詠者」の関係に主眼を置いて配列する
という事もある訳です。

例えば、勅撰和歌集というものの性質を考えた場合
当今(or 治天の君)の詠歌や、その御代を言祝(ことほ)ぐ歌などで
意識的な配置・配列が見られる
…のは、分かり易い例だと思います。
(※当今(とうぎん)…当代の天皇。今上天皇。)


配列に込められたこのような意図については
先日から紹介しております…
【深津睦夫『新千載和歌集の撰集意図について』
(『皇學館大学文学部紀要』第39輯 2000年12月)】

こちの論文で
『新千載和歌集』における後醍醐天皇尊氏の和歌の気になる並びについて
重要な考察がなされています。
どれも非常に興味深い内容です。
なので全部紹介したいところですが、流石にそれは無理 (´・ω・`) …と諦めようかとも思ったのですが、やっぱりとても参考になる考察なので頑張って一例だけ引用で紹介したいと思います。



(※以下、上記論文の p.43-44より引用。)

 たとえば次の神祇部の九八二・九八三番の配列。

元弘三年立后月次屏風に、春日祭の儀式ある所を  後醍醐院御製
立ちよらばつかさつかさもこころせよ藤の鳥居の花のしたかげ(九八二)

                        等持院贈左大臣
諸人もけふふみ分けて春日野や道ある御代に神まつるなり(九八三)

 九八二番の後醍醐天皇の歌は、新葉集にも採られたもので(巻第九・神祇歌 五九四)、
後醍醐天皇の神祇歌としては代表的な一首ということになろうか。
朝廷に仕える百官に向かって春日の神徳に心するように呼びかけている歌である。
それに続く九八三番歌は、後醍醐天皇のそれと同じ元弘三年立后月次屏風の際の尊氏詠で、
正しい政治がおこなわれている今日、
臣下一同、春日社に参拝して神を祀ると詠むものである。
ここでは、春日祭をテーマとしつつ、
天皇が臣下に呼びかけ、
臣下を代表する尊氏がそれに応えつつ天皇のすぐれた治世を言祝ぐ

という構図が形作られていると見ることができよう。

(※引用ここまで。 改行と強調は、私による適当です。)




…という訳で
大変鋭い指摘&解説で、和歌の配列の奥深さを感じてもらえたかと思います。
つまりここにも―――
執奏者尊氏と撰者二条為定による『新千載和歌集』の隠し扉が!!
しかも今回、超真面目なやつ。
尊氏二条為定は、やればむちゃむちゃ出来る子。



この様に「和歌は、詠者に関して意図的に並べられる場合もある」
という予備知識を踏まえて
今日の本題に進みたいと思います。




本題!☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆本題!




さて、この「うきながら…」の直義和歌は
為政者としての直義の天下への無私の献身
人間としての直義の利他・他愛といった
直義が生まれながらに持つ本質を鏡のように映し出した珠玉の和歌であります。

人々の苦しみを思うだけでも、この世を憂いてやまない直義ですが
政道においてもまた
道ある世を目指し夢見る直義にとって
道の守られない現状に向き合う日々は、嘆きの多いものだったでしょう。
(※↑この辺の心境については
 『Muromachi通り』「画像修正しました」(2014.10.21)冒頭の
 上杉憲顕に宛てた直義の自筆書状の意訳をどうぞ。)

それでも、この天下にある人々の為だと思う事が
苦しみの中にある直義の唯一の支えになっていた、そういう歌です。

直義にとって、政道を担うという事は「人の憂いを除く為」であって
自己の欲心や権勢、自尊心の充足の為ではなく
本当に直義って、自分よりも人、人の幸せこそが自分の幸せという
天から降って来たような生まれながらの聖人
ナチュラルにして菩薩、仏界からいらしたとしか思えない救世の弥勒候補
そろそろ人なのかどうかすら怪しくなってくる 謎の生命体直義―――


(また直義の話で今日が終わってしまうところでした。)


それからこの和歌は、前回の直義和歌と同様
『風雅和歌集』撰集の際に詠進された「貞和百首歌」の中の一首です。
貞和2年(1346)という、天下の実質将軍直義(←幕政的な意味で)が率いる初期幕府の最盛期
「天下執権人」(『園太暦』康永3年9月23日)としての直義のありのままの心
治天の君である光厳上皇に伝えた美しい歌であります。


ちなみに『風雅和歌集』といえば
「雑歌 下」に収められた為政者直義の和歌…

述懐の歌の中に  左兵衛督直義
しづかなる よはの寝覚に 世中の 人のうれへを おもふくるしさ

(静かな夜にふと目が覚めると
 世の人々の憂いや悲しみが胸に押寄せて… 苦しい )


『風雅和歌集』の撰者光厳上皇の心を射止めたのはこちらの歌でしたが
ほぼ同じ心を詠んだ今回の直義和歌も
それを御覧になった時の光厳上皇の感激やいかに… (´;ω;`) 滝滝滝
いやむしろ、安定の以心伝心ツーカーで (ゝω・) v ブィ☆
…とか、「貞和百首歌」は妄想が無限に捗って困る。

(※光厳上皇直義の関係についてのとあるエピソードは…
 『Muromachi通り』「直義の年齢(その2)」(2015.11.3)
 こちらの前半〜中ほどをどうぞ。)



さて
そんな、単独でも十二分に貴重な情報を提供してくれる今回の直義和歌ですが
実はこの和歌は
その「配列」が、非常ぉぉーーーに気になるものとなっているのです。
つまり、ある意味こっからが本番!!
…の可能性が無きにしも非ず。というか間違いなくたぶんそう。(←尊氏的な意味で)



という訳で、問題の配列を紹介…するその前に
『新千載和歌集』どういう時期に誕生したものかという事を
今一度確認しておきますと…

『観応の擾乱』の最終決戦(直冬戦)が終結した翌年の、延文元年(1356)6月
尊氏の奏請より撰集が決定、開始され
そして最終的な全巻の完成は
延文3年(1358)4月30日の尊氏の薨去を経た、延文4年(1359)12月


つまり…
『新千載和歌集』は謂わば
『観応の擾乱』尊氏の人生の、締めくくりとなった歌集」
と言う事も出来ると思います。
そう考えると益々、この勅撰集に託された想いが重みを増して来る訳ですが…。

(※『新千載和歌集』には「後醍醐天皇の鎮魂」という意図が込められている
 …などの、当勅撰集の特質・基本性格については
 先日の記事「直義のスクープ和歌は謎(その5)」を御覧下さい。)




それでは、以上の背景を意識しつつ
今度こそ本題の「配列」を…

…と思ったのですが
長くなってしまったので一旦切って
次回「『新千載和歌集』の隠し扉(その3)」に続きます。



本題...*・゚(´・ω・:;.:... .本題:;.:....



結局今日も、8割直義で終わってしまいました。
あとの2割は、尊氏の気配が始まった感

次回、開かずの隠し扉の向こうから テッテレッテレー こんにちは…!!
…とふざけたいところですが
今回は真面目な話なので、真剣に行きたいと思います。



posted by 本サイト管理人 at 08:06| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)
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