2017年08月04日

『新千載和歌集』の隠し扉(その1)

おはようございます
全6回にもわたり直義のスクープ和歌の話を語り倒したところですが
妄想が熱暴走して未だ冷めやらないので
今日は、その後日談的な〜何か、みたいな感じで
『新千載和歌集』の中の気になる歌を、いくつか見ていきたいと思います。


(※以下、歌の出典は…
 【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】
 歌の意訳は私による適当です。)


(それから、和歌の配列についての知識として…
 【深津睦夫『新千載和歌集の撰集意図について』
 (『皇學館大学文学部紀要』第39輯 2000年12月)】

 …を是非読んで頂きたいところですが
 入手の手間暇を考えるとそう簡単ではないと思うので
 ネットで公開されている論文として…
 【谷崎たまき『『古今和歌集』の構造と配列:恋の部を中心に』
 (『国文目白』51号 2012年2月)】

 …が参考になるかと思います。
 論文名で検索するとすぐ見つかります。
 (論文のネット公開は本当に有り難い!)
 和歌素人の私としては
 「和歌の並びって、意味があったんだ〜」
 という基本中の基本な知識に、純粋にわくわくしました。)




それでは参りたいと思います。
まずは「秋歌 上」より、直義の和歌


貞和二年百首歌めされし時  左兵衛督直義
露ながら ちくさ吹きしく 秋風に みだれてまさる 花の色かな

(露をまとったままの千草が、秋風に吹かれ乱れて
 花の色が一層艶(あで)やかさを増している… )



これは、ネットで検索すると丁寧な解説も出てきて
わりと知られた歌の一つだと思います。

「秋」の部に収められている歌なので
秋の野の情景を印象的に詠い上げた、野趣あふれる 季節の歌 です。

……。

ちょっと… 妄想を掻き立てられる様な気のせいがほんの少しだけ勘違いしてしまう気がしないでもない歌ですが。
(ちょっと? いやかなり… )


で、でも周囲の和歌を見ると
「秋風に みだれにけりな…」とか「…しをれぞまさる 花の色色」とか
「…秋の野の 花の下ひも とけもしぬらん」とか
わりと妖艶な表現が目に付くので
た、直義の和歌も、その中で見ると別に特に浮いているとかじゃないし
秋の野というのは、一般的にこう、艶っぽい印象を与えるものなんですよきっと。
(キャピった夏☆が過ぎて、しっとりした大人の落ち着きが出る季節〜というか
 すまない子供は帰ってくれないか的な熟した季節〜というか… )

だから直義だって、別に普通に秋の情景を詠っただけです!
なんか別のそういう二重の意味を持った歌だとか
そんなの考え過ぎです!!
直義が、そんなみんながドキッとしちゃうような大人な歌をしれっと詠んで人々の妄想心に火をつけた挙句に大炎上させて収拾不能な事態を招くような真似をする訳がありません!! ><


うん、そうだ。 そうに違いない。 落ち着け自分。




あーさて(少々取り乱してしまったので)
気を取り直して、この直義和歌の次の歌でも…


題しらず  前中納言匡房
たとふべき かたこそなけれ わぎもこが ねくたれがみの あさがほの花



「わぎもこ(吾妹子)」=「わぎも(吾妹)」
男性が妻・恋人などの女性を親しんで呼ぶ語。
「ねくたれがみ(寝腐れ髪)」は、寝て乱れた髪、寝乱れ髪のこと。
「あさがほ」は、「朝顔」と「朝の寝顔、寝起きの顔」の掛詞。
(※↑この朝顔は、秋の七草の一つで桔梗のことらしい。)

つまり―――

例える言葉が見つからないな〜 寝乱れた髪をした我が愛しい妻の朝の顔は…
じゃなかった、今の無し!今の無し!
朝顔の花は本当に綺麗だなぁ〜(棒読み)」


…という歌。



……。(←フリーズ中)

ぐわあぁっぁぁぁぁぁーーーーーっっっ!!! (←のけぞった)

なんちゅう歌を直義の歌のに持ってくるんですか!!
これじゃまるで直義の歌が…
…え、あれ?
てゆうかつまりこれはそのあの…

直義の歌も(もろ)そういう意味って言いたいのかぁぁっぁーーー?!?!!!

おい誰だ! こんな細工したやつは!!
わざわざ平安後期の大江匡房の歌まで持ってきて
狙い過ぎだろ!


(完全に遊ばれている… )


直義を何だと思っているんでしょうか?
それとも、直義ファンアクロバットなサービスしてるつもりなのでしょうか?
どんな気の利かせ方だよ。
これは、撰者の二条為定のセンス…な訳ないですよね
どう考えても尊氏の仕業入ってますよね?

またしてもやつの気配か…


 (´・з・) 〜♪


ちなみに、大江匡房(おおえのまさふさ)は当時の一大知識人&歌人
だから歌の文学的価値は間違いなし!の勅撰集の常連歌人!!
でも、だからって何もここに陳列しなくったって…(むしろ珍列)
しかも、この直義和歌の直前に配置された和歌の冒頭は
直義和歌と同じ「露ながら」で始まっていて
これは…
前後の和歌の関連性に、意地でも注目させようとの配慮に違いない!(疑惑)
どんだけ仕込みに抜かり無いんだよ。(深読)




では折角なので
この直義和歌を前後の歌と共に、少々書き出してみたいと思います。



建武二年内裏にて人人題をさぐりて千首歌つかうまつりける時、秋植物
弾正尹邦省親王
露ながら をるべきものを 宮城野の もとあらの萩に 秋風ぞ吹く

貞和二年百首歌めされし時  左兵衛督直義
露ながら ちくさ吹きしく 秋風に みだれてまさる 花の色かな

題しらず  前中納言匡房
たとふべき かたこそなけれ わぎもこが ねくたれがみの あさがほの花

広義門院
露ふかき 霧のまがきの 朝ぼらけ しをれぞまさる 花の色色




邦省親王は、後二条天皇(※後醍醐天皇の異母兄)の第二皇子です。
広義門院(西園寺寧子)は、光厳帝と光明帝の母上です。
「宮城野」は、萩の名所。
「もとあら(本荒)」は、草木の根元の方の葉がまばらなこと。
「朝ぼらけ」は、明け方、空がほんのり明るくなって来た頃。
「まがき」は、竹・柴などを粗く編んで作った垣根。

ちなみに、この4首の前には「萩」を詠んだ歌が並んでいます。



…こうして見ると
「露」とか「秋風」とか「朝」とか「花」とかの共通項で
一見、上手く繋がっているように見えはしますがしかし―――
騙されてはいけない!
なんか3首目の大江匡房の歌は、妙ぉ〜に浮いている気がする!!(独断)

(でも、この4首の周辺は総じて
 秋の「野辺」の広がりを感じさせる歌になっているのに
 この匡房の歌だけ、秋を表している部分「朝顔(桔梗)」だけですよ?)


この辺りは全体的に
秋の風情をしんみりと、しかし胸に迫るように印象的に詠んだ歌が並び
ひと際あざやかに「季節」という情緒を感じさせるこのエリアにおいて
直義&大江匡房の和歌のところだけ局地的に…


「秋歌」ってカテゴリ感、吹っ飛んでるんですけど!
ここだけ別の宇宙を形成してるんですけど!
何歌エリア?なんですかここは!!



この、あからさまな狙って仕込みました感
ばれてないつもりなのか、それとも、突っ込み待ちなのか。
いい加減、後世の私達がリアクションに困るような事するのやめて下さい ><

広義門院さまの歌も、若干、援護射撃しているような気もしますが
 そう見えるのは、私の目が曇っているからに違いありません。)




6世紀半の時を越えて☆。☆*☆。 c(・∀・っ)ミ *☆。☆*☆突っ込みま珍将軍
まだかな〜 まだかな〜




まあ、とりあえず
尊氏が狙って仕込んだのは分かった。
ただ問題は
もともと直義はこの歌を "そういうつもり" で詠んだのか?
それとも、たまたまそういう感じになってしまったのか?

重要なのはそこですよ!
つまり、どっちなのか!!
以下、わたし的二択↓


【1】やはり直義は基本的にうぶで清いので、素でこういう歌を詠んでしまっただけ。
単に文学的な美しさを追求したらこうなったってだけで
周囲が勝手に赤面していても、一向に何が問題なのか気付かない。
そんな「真面目過ぎて一周回って面白くなってしまう」いつもの直義の平常運転です。
深読みしちゃった人は、滝に打たれて心を清めて来て下さい!!

【2】いやむしろ、実は直義はこういう大人のジョークを平然と嗜むダンディズムなキャラで
逆に、意外と純情そうな尊氏を「(/ω\*)キャァァーーッッ ///」とか恥ずかしがらせて面白がっていた
とかいうまさかの意外性
え、でも、あの聖人直義がこんな濃厚な感じの魅力を纏っていたら
男女問わず(一方的に)落ちてしまう人続出で大変な事になっていたんじゃ…
でも直義は「他犯戒」を持していた鉄壁の禁欲星人なので
決して愛人なんていません!! ><




まあ、ネタ的には
【2】の方が、新たな境地が開けて美味しく頂ける様な気もしますが
ただ、この直義&大江匡房の珍列和歌
直義が【1】のようなキャラだからこそ面白いものになるのであって
直義が当たり前にそういうキャラ(=【2】)だったなら
尊氏も、こんな細工を「ピコーン!」とか思い付かないと思うのですよね。


普段、めったな事ではやる気を出さない(←少なくとも表向きは)あの策士将軍尊氏
本気でネタを仕込みに来ている様子からすると
やはり、実態は【1】に近いのではないか…
と思うのですがしかし
「本当に偶然こんな歌を詠んでしまった」というのは
確率的に考えると非現実的過ぎて
マジカルの域に達していると言わざるを得ない―――
相当、ネタの神様に愛されでもしない限り有り得ないですよね?
そうするとやはり【2】なのか…
いやでも、直義の事だからそんな事(=ネタ明神様の強烈庇護)もさもありなん…。


ただ、もし【1】に近いとしても
直義は実際は、そんなにうぶとか奥手ではなかったと思います。
自分の好きなもの、愛するものに対しては、人目を憚らず情熱を燃やすタイプなので
いつでも自分の感情は公言していた事でしょうw
(そして周囲は赤面する (/ω\*)キャアァァァーーー/// )

あ、でも、尊氏に対してだけは
どうやら本音を言えずにいたようです。
(↑政策や天下の事なら、言いたい事主張しまくっていたでしょうが
 そういう公的な信念や信条に関する事ではなく
 私的な感情(好意)については、回りくどい伝え方しか出来なかったようです。
 うぶ…。)



それから、妙な傾向なのですが
現在に伝わる直義の「恋歌」は(←勅撰集や私撰集に残るもの)
なぜか、「秘めた片思い」とか「つらさと涙をひたすら隠す恋」とか
一方的に耐え忍ぶ恋を詠ったものが多いのですよね…
(多い…というかむしろ、そればっか。)

妄想恋歌だとは思うのですが(たぶん…。それにしても凄まじいMっ気である)
でも妙にリアリティがあるので
もしかしたら、何かしら内に秘めて我慢していた想いがあって
それを恋歌として表現していたんじゃないかな…
とか激しく疑ってみたりしているのですが―――




(すみません、妄想が変な方向に溢れて氾濫を起こしてきました。
 灌漑がなってません。)





ええと、話を元に戻しますが…
この直義和歌は、詞書に「貞和二年百首歌めされし時」とあるように
「百首歌」(=応製百首(応制百首))として詠進された中の一首です。

(※百首歌(ひゃくしゅうた)とは…
 勅撰集の撰集が決定した後、撰歌の参考資料(候補)として
 選ばれた歌人たちが提出する百首の和歌のこと。)


しかも「貞和二年百首歌」つまり『風雅和歌集』のために詠進した百首歌なので
まさに、光厳上皇花園法皇の叡覧に供した訳です。
(※『風雅和歌集』は光厳上皇の親撰、花園法皇の監修。
 親撰とは、天皇(上皇)が自ら撰歌を行う事。)

だから、文学的に大真面目に詠んだ歌である事は100%間違いなし!!
だったりしますから
そう考えると、直義の実態はやっぱり【1】…
しかし、だとしたら「素でネタ化してしまう」という才能において
直義の戦闘力は想像を遥かに超えているという新事実が明らかになり
これは、今後の南北朝研究を根底から覆しかねない大論争を巻き起こ…(せやな。)


あるいは、第三の選択肢として
「そういう意味の歌を純心で詠んだ」という
【1】と【2】の折衷案みたいな可能性も考えられるかもですね。
つまり―――
【3】美しいものに対してうっとりと陶酔し過ぎてしまう傾向がある直義は
恥ずかしい歌も恥ずかしいものだと思わずに素で詠み倒しては
一人、自給自足的な耽美空間にトリップしてしばらく帰って来なくなる癖があったので
居合わせた人々は、突っ込んだらいいのかそっとしといたらいいのか分からず
ただオロオロたじろぐ者、紅潮した顔を両手で覆い指の間から様子をうかがう者
諦めて帰り支度を始める者、ポップコーンとコーラを買いに行く者らが入り乱れ
場は一瞬にして阿鼻叫喚の様相を―――




というか、この直義和歌は光厳上皇のお目に留まったと思います?
百首もあって、しかもそれが30人分くらいある訳ですから
詠進された「百首歌」のすべてを細部まで…とはいかなかったでしょうが
でももし、偶然にもお目に留まっていたとしたら―――

直義の清さをよく知り、心を通じ合う光厳上皇だからきっと
(/ω\*)キャアァァァーーー/// とかなってしまわれて…

(ちなみに、貞和2年(1346)当時は光厳上皇数え34歳、直義数え40歳。)





ああ、なんか考え過ぎて何が何だか自分でも分からなくなって来ました。
つまり… 直義って何なん?
なんでたった一首の和歌で、こんなにネタが無限膨張するの?
宇宙なの?


という訳で、私には答えを出す事が出来ません!
後は各自、妄想をフル展開して直義の実態解明に勤しんで下さい!!

私は疲れたので、スタバでコーヒーでも飲んで来ます! 以上!!




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はい、そんな訳で本日は
直義和歌の背後に見え隠れする尊氏さんの隠謀について探ってみました。
(というか隠れてない、むしろ丸出し)


先日の直義和歌といい、今回の直義和歌といい
尊氏が『新千載和歌集』の撰集を望んだのは
もしかしたら
直義の思い出永遠として残すためだったのではないか… とか
思ってしまうのは
二人の絆に特別を信じる私の、妄想が見させる夢なのかも知れませんが
でも、尊氏を動かした動機の一つではあったんじゃないかな、と
思っています。





あーさて
直義和歌の事を語り出したらまた止まらなくなって
結局、今日はこれだけで終わってしまいました。
…というか
直義和歌に執拗に絡む尊氏が面白すぎて
全力で全方位から突っ込まずにはいられませんでした。

という訳で次回「『新千載和歌集』の隠し扉(その2)」に続きます。



posted by 本サイト管理人 at 07:40| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)
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