2017年07月30日

直義のスクープ和歌は謎(その6)

おはようございます、「直義のスクープ和歌は謎(その5)」の続きです。
ようやく終章です。


『新千載和歌集』の成立背景と撰出和歌、その配列には
尊氏の意図が見え隠れする (´・з・) 〜♪

…という事実が明らかになった今
どう考えても、あの謎多き直義和歌の撰出&配列も間違いなく

   尊 氏 の 仕 業

巧妙なようでいてどこかずっこけるあのわざとらしさは
ワロス戦略将軍尊氏の、典型的な「尊氏節」(たかうじぶし)だったのですよ!!


そう、既に謎はすべて解けたのです。



あの歌は尊氏にとって
どうしても忘れる事が出来ない、大切な思い出だった。


誰があんな直義のプライベート和歌知ってたんだよ!
という謎には
「あの歌は、直義尊氏個人的に送った歌だった」
という答えを。

当初、詞書を添えずに掲載する予定だったのではないか
という推測には
尊氏的に、詳細を明かすには躊躇(ためら)われる事情があったから」
という理由を。

詞書に登場する女性は、直義の愛人でなければ誰なのか
という疑惑には
「彼女は、尊氏に関係する女性だった」
という推定を。

なぜ尊氏にとってこの歌が、そんなに大切だったのか
という問いには
落ち込んだ尊氏を慰めるための、直義からの優しさの歌だったから」
という愛を。



そうつまり―――
私はこう妄想してやまないのです


ある女性を京都に残してしまったのは尊氏だったのだと
そして、彼女が出家した事にショックを受けたのも尊氏だったのだと
その話を伝え聞いた直義
尊氏を慰めるために歌を送ったのだと
尊氏はこの時の直義の優しさが、ずっと忘れられないでいたのだと
それは、『観応の擾乱』という悲劇を越えた後でさえ
変わることのない「輝き」だった―――


 あの瞬間を、永遠の中に残したい


だがしかし!!
自分しか知らないはずのこんな私的和歌を勅撰集に撰出したら
尊氏の仕業だってばれてまう〜
というか、こんなプライベートを自ら天下大公開とか
俺もそこまでドMじゃねーし…
いや、周囲の目が気になったのではない!
直義がそれを許してくれるかどうか、尊氏には自信が無かったのだ―――

ならば、詞書を添えずにしれっと掲載しようと
策士将軍尊氏和歌友の二条為定と示し合わせて大胆な策に打って出た。
よし、これならどっから見ても、ただの憂き憂き出家和歌!


 やばい、俺 て・ん・さ・い

 (ゝω・) v イェイッ ☆☆



…と、ここで終われば良かった(?)のだが
どういう訳か一転して、最終的に詞書が掲載される事になった。
それはなぜかと言う事ですが―――


たぶん、最後に直義が許してくれたんじゃないかな。


私は、詞書を添えると方針転換した時期は
尊氏が世を去る直前、おそらく、遺言に近い形で
二条為定に意向が託されたのだと考えています。
『新千載和歌集』の最終的な完成は、この翌年の12月です。)

ただ…
やっぱりプライベート大公開には二の足を踏んだのか
主語目的語がうやむやな煮え切らない詞書にしてしまったら
直義愛人説とか生まれちゃうなんて…
天下の天才策士将軍尊氏大誤算てへ☆




室町名物☆*☆。☆* c(・∀・っ)ミ 。☆*☆。☆珍才将軍!




それでは、謎和歌の全容(?)が解明したところで
直義和歌最終意訳を完成させたいと思います。



建武の比(ころ)思ひの外の事によりてつくし(筑紫)へくだり侍りけるが
程なくかへりのぼりて侍りけるに、都に残しおきて侍りける女の
さま(様)かへ侍るよしをききてよみてつかはしける    左兵衛督直義

袖の色の かはるときけば 旅衣 たちかへりても 猶ぞ露けき


(訳(妄想))
建武の頃、予想外に九州へ下る事になった訳だが
程なく帰って来たところ、(尊氏が)都に残し置いていた女が出家してしまった
という知らせを聞いて、(尊氏に)歌を詠んで遣わせた

あの方が出家してしまって、兄上が落ち込んでいると聞きました
旅を終えて再会を喜べるはずだったのに、また涙に袖を濡らすことになるなんて…
お痛み、お察しいたします。

直義より




この和歌で直義が
出家した(=墨染の衣に着替えた)」ことを表すために
袖の色が変わった」という、恋心を連想させるような表現を使ったのは
この女性尊氏との関係が、背景にあった為ではないかと思います。

つまりこれは「 "尊氏にとっての" 恋の歌 」であり
詠者である直義にとっての恋の歌ではなかったから
「恋」の部ではなく、「雑」の部に収められた
ってのもあるんじゃないかな〜 とか思います。


(あるいは、もう一つの可能性として…
 もともと初めから詞書も添える予定だったのだが
 しかしその場合、不要な誤解を防ぐ必要があるので
 詞書に登場する「女」ってゆうのは
 別に直義と恋仲にある訳じゃないよ!つまりこれは恋歌じゃないんよ!
 …という事を強調するために
 「雑」の部出家遁世エリアピンポイント墨染で念押しした
 ってパターンも考えられるかも知れません。
 でも結局誤解されますた。(´・ω・`) )




それでは、残る最後の疑問
「この出家してしまった女性とは、尊氏の愛人なのか?」
についてですが…
私は違うと思っています。

というのも
尊氏は(少なくとも)足利家の当主となる事が確定した以降は
かなり身持ちが固かったと思うので。
ならば、このただならぬ関係の女性は一体…??
となる訳ですが
実は私は…
もしかしてもしかしたとしてもしかするならばこれは―――
尊氏の知られざる側室「さぬ」なんじゃないかと
一人疑っております。

「それ以外に思い当たる女性がいない」ってだけで
証明してくれるものは何もありませんが
それでも、もしそうだったとしたらさぬは…

建武政権期に尊氏京都に呼ばれて
『中先代の乱』という非常事態に際しては、そのまま京都の安全な場所に留まり
しかし『建武一年合戦』で尊氏たちが九州に落ちて行った時は
流石に悲観して出家を決意し
でも、幸運にも尊氏たちが生還したので
完全にはにまではならなかったのだが、隠居に近い生活を送る事になって
だから、不思議なほど当時の記録に気配を見せず
尊氏の護持僧・三宝院賢俊による日常的な修法も行われていなくて
でもその子供たちは、尊氏のもとで大切に育てられていて―――


…と、色々と都合が良いように妄想解釈出来てしまって
どうにも止まりません。


先日の記事「足利さぬ …のこと(その3)」(2017.6.23)の最後で
「私の秘蔵(?)のさぬネタ」と言ったのは、この事だったのですが
蓋を開けてみたら、妄想の上に盛った妄想
ミラクルチョコレートトリプルプリンいちごチェリーサンデー抹茶ケーキ乗せホイップ増量キャラメルシロップはちみつパフェ
みたいな事になっててすみません。



夏の☆*☆。☆* c(・∀・っ)ミ 。☆*☆。☆珍パフェ



という訳で、「直義の謎のスクープ和歌」について
長らく内に秘めていた思いを語り尽くしてみました。

大胆にも、半ば妄想の冒険解釈を披露してしまいましたが
どうしてここまで冒険する気になったかというと…
確信が持てないものさえも含めて
尊氏が残した想いの一つ一つを、残らず拾い集めたいと思っているからです。


 尊氏を本気で知りたいと思ったら、冒険するしかない


…とか、どんだけ厄介な歴史的人物なんでしょうか。
でもそれだけ、どうしようもなく魅力的なのです。


ただ、たった一首の和歌ですらこれだけ時間がかかってしまう私には
尊氏さんの全容解明なんて…
マジ無理、考えただけで刻(とき)が見えます ><

『新千載和歌集』どころか、人生そのものに隠し扉仕込みまくってますからね、この将軍。
壮大な大規模プロジェクトを組んで欲しいです。
きっと日本の未来に…いや人類の未来に、多大な恩恵があると思います。



posted by 本サイト管理人 at 08:11| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)
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