2017年06月30日

直義のスクープ和歌は謎(その2)

こんばんは、「直義のスクープ和歌は謎(その1)」の続きです。

まずは、詞書和歌を再掲しますと…


建武の比(ころ)思ひの外の事によりてつくし(筑紫)へくだり侍りけるが
程なくかへりのぼりて侍りけるに、都に残しおきて侍りける女の
さま(様)かへ侍るよしをききてよみてつかはしける   左兵衛督直義

袖の色の かはるときけば 旅衣 たちかへりても 猶ぞ露けき


(※出典【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】)



(だいたいの訳(仮))
建武の頃、予想外に九州へ下る事になった訳だが
程なく帰って来たところ、都に残し置いていた女の様子が変わってしまった
という知らせを聞いて、歌を詠んで遣わせた

あなたが変わってしまったと聞きました
(旅立つ時にも、別れの悲しみに涙がちになりましたが)
旅から帰った今もまた、涙に袖を濡らすことになるなんて…



(※ちなみに「袖の色」の解釈の仕方が難しいところですが…
 これについては、また後ほど。)



なんという涙目な和歌 (´;ω;`)!!!
ハートブレイク(?)な直義に幸あれ!!

…というのが、一見したところのこの和歌の意味でありまして
(ただし、泣いてはいても、必ずしも失恋歌という訳ではないかもです)
これでも十分に おもしろエピソード 興味深い逸話ではあるのですが
しかしそれでも、真実が別の姿をしているなら
それを知りたくなる訳です。




さて、あまりに面白いので
この歌の背景をもっと知りたくて、まじまじと見つめていたところ
なんか変な事に気付きました。

この歌が収められているのって、「雑歌」の部立(ぶだて)なんですよ。

歌集というのは(特に勅撰集は)
その中に「部立」(ぶだて)という区分が設けられていて
歌がその種類によって分類されています。
四季(春・夏・秋・冬)、恋、雑、羈旅(きりょ)、離別、哀傷、釈教、神祇、慶賀…
などが主なところですが
もしこの和歌が、直義愛人に向けて詠んだものなら
「恋」の部に収められているはずなんじゃないかと…?

まあ、ちょと「旅」とか他の要素もあるので雑部に分類されたのかな〜
とも考えたのですが
しかし、さらによくよく見ると、やっぱりどうも変なのです。



そもそも…
この時期に「直義は京都に愛人がいた」…って?

直義は、建武新政権が開始した年の元弘3年(1333)12月14日
関東の統治に当たるべく、京都を立って鎌倉に拠点を移している訳ですが
次に京都の地を踏んだのは、約2年後の建武3年(1336)正月11日
しかも、この時の滞在はせいぜい半月ちょっと。 その上、合戦真っ只中

東国から京都に攻め上って、新政権軍との死闘を繰り広げると同時に
半月の間に京都で愛人を作ってプライベートも充実☆
…って、どんな早業なんですか!!

というか、京都を敗退した時には
尊氏直義のおじの上杉憲房を含む勇士たちが「命に代えて二人を逃がした」
という、あの感動のエピソードを残した壮絶な戦があったほどで
愛人作るような暇があったとは思えない…


直義は、おじの上杉憲房の件でも
九州での少弐貞経(妙恵)と一族家人の戦死の件でも
部下の犠牲には、人一倍心を痛める誠実な性格の主君なので
(↑一人で引きこもって喪に服し始めようとする(『梅松論』))
日々家臣が散りゆく合戦のさなかに
自己の快楽を求める精神的衝動は生まれないんじゃないかな〜と。

というか、平時でさえ筋金入りの禁欲大好きマンなんだから
死が隣り合わせの戦場なんて、それこそ涅槃に片足突っ込んだ仏教僧の境地だったはず。


その上『梅松論』によると…
この京都での対戦時、足利軍は
「両将、浮勢にて河原に御控ありしゆへに、軍勢の心そろわず…」
つまり、どこかの寺院とかとかに本陣を定めずに
大将である尊氏直義も「河原にいた」とかいう臨時営業状態だったので
みんなの心が揃わなかったそうで
(それが敗因だったので、4か月後の再上洛の際には「東寺」に陣を構えた、と)
そうするといよいよ
そんな浮ついた環境で、どうやってちゃっかり愛人作ったんだよ!
と突っ込まずにはいられない訳です。



考えられる可能性の一つとしては(かなり有り得ないけど)
「直義は、鎌倉から愛人を連れて来ていた」
というパターンかも知れませんが
そうすると、駿河国の手越河原でも、箱根でも
女性としてあれほどの大合戦を潜り抜けた、というミラクルもすごいですが
(特に手越河原では、直義は一旦は討死を決心しています(『梅松論』))
そこまで戦場をついて回れるのに
なぜ、京都では置いて行かれることになってしまったのか…?
京都撤退後、尊氏直義たちは、しばらく丹波兵庫でぐずぐずしていたのだから
追いかける事は出来ただろうに。
というか、そこまで深い直義の関係者だったなら
当時の京都に残るなんて、アウェイ過ぎて危険極まりないですし。

そう考えると、やはりこの女性はもともと京都の人
(少なくとも、それまで京都にいて、京都に居場所のある人)
…だとしか思えないのですが
でもそうすると、京都で直義と関係を持てそうなタイミングが見いだせない…



残る可能性としては
戦場には、個人的な女性の同伴というのはそうそうなかったでしょうが
遊女の出入りはあったと思うので
彼女も、そんな遊女の一人として直義と出会った―――
…とかいうベタなストーリーも考えてみましたが
しかし、そんな一朝一夕の関係なら
この様な歌まで送って未練を告げるような、深い関係だったことと矛盾するし
「一夜とはいえ、燃えるような恋に落ちた」…というのなら
戦場に出入りする遊女であればそれこそ
丹波でも兵庫でも、九州まででもついて行けるはず。
「京都専属の遊女だっらから、(プロ意識で)自ら京都に残った」というのであれば
和歌の詞書に「(直義が)彼女を都に残し置いた…」という言い方がされているのは
おかしい訳で。

あるいは、ついて来ようとする彼女を制止して
「すぐ戻る!!」とかかっこいい事言い放って、戻れなかっただけとか?
そういえば、『梅松論』によると
直義は、九州への退却を説得する尊氏の言う事に耳を貸さず
「都に攻め上りて命捨つべし!!」
何が何でも京都に戻ろうとしていたんだったな…


…って何を言ってるんですか!!
あれは、天下の未来のためなら
命を塵よりも軽くして戦い抜く直義魂が炸裂しただけです!! ><


だいたい、天下の行く末を賭けた戦場で遊女にうつつを抜かす直義…とか
どこの並行宇宙の直義だよ!!…ってレベルのキャラ改変ですが。

直義は自分で「俗人で俺ほど禁戒を犯さぬ人間はいない!!(ドヤッ」
と豪語していたほどの人物なのですよ。(『太平記』)
当時すでに数え30歳だから、「若さゆえの過ち…テヘ」とかいう訳でもないでしょうし
そもそもこの頃は
直義が憧れてやまない無学祖元(の頂相)に受衣して2年と経たない時期。
それこそ、フレッシュかつ強烈な禁欲禁戒フィールドを張っていたと思いますよ。

やはり、戦時に愛人…って
人物像的にどうにも無理があり過ぎる…。
だいたい、こんな背徳的なアバンチュールを、なにも勅撰集で採用しなくても―――


そう、これは勅撰集なのですよ!
勅撰集に撰出されるには、ちょっとプライベートに過ぎる歌のような気がするのですが…?
極秘案件ですよね、常識的に考えて。
それがよりにもよって、キングオブオフィシャルな勅撰集で天下大公開!!
有り得ないですよ。

そもそもよく考えたら…
『観応の擾乱』の中で悲劇的な最期を迎え
当時すでに故人だった直義の、こんな秘密の和歌を

一体誰が知っていたというのですか!!


謎です。あまりにも謎です。


出会うはずのない恋、いるはずのない愛人、知られるはずのないロマンス…
直義は、誰に向けて、誰の心を詠んだのか―――


しかし、この和歌の謎はまだまだこれでは終わりません。
という訳で次回「直義のスクープ和歌は謎(その3)」に続きます。



posted by 本サイト管理人 at 17:54| Comment(4) | 観応日記(尊氏、直義)
この記事へのコメント
こんばんは。
私もこの和歌が謎だったので、あなたがどのように捉えているか前から知りたいと思っていました。
ただし、詞書のさまかへ侍るというのは出家するという意味ではないかと思います。前後が出家した人の歌なので、その流れで雑部に収められたのではないかと思います。あと勅撰和歌集でもプライベートの恋歌が載ることはあります。
Posted by ねこ at 2017年07月01日 19:08
>ねこ様
コメントありがとうございます!!
そうですよね! 私も、前後の和歌からすると
「袖の色が変わる」=「墨染の袖に着替える」=「出家する」
の可能性が一番高いかなぁ…と考えているところです。
この辺の事は、次回の「その3」で語ってみたのでが(もうすぐUP予定です)
ただ、『新千載和歌集』の並びの中で見ると(←この辺は「その4」で検証予定)
この和歌は本当に謎ですよね。
なんというか、すごいオーパーツ感で
何かしら裏事情を隠しているんじゃないか…と深読みしてしまっています。

>勅撰和歌集でもプライベートの恋歌が…
ご教示ありがとうございます! 和歌に関してはど素人なもので…w
そうすると、ますます私的な事情を探りたくなってしまいますね、直義の謎和歌なだけに。
Posted by 本サイト管理人 at 2017年07月01日 20:15
私は「さまかはる」という語から出家かなと思っていました。古語辞典で調べると、様子が変わるという意味もありましたが、出家をするという意味もあるからです。
「袖の色が変わる」の方は、血の涙を流したということだと思っていました。「見せばやな小島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色は変はらず」の歌のように、血涙によって袖の色が変わったという内容の和歌がたまにあるからです。でも言われてみれば墨染の衣に変わったとした方が自然ですね。
Posted by ねこ at 2017年07月02日 17:18
>ねこ様
またまたコメントありがとうございます!!
「袖の色が変わる」が、泣き過ぎて血の涙に変わるほどの激しい想いを表す表現
というのも、次回の記事「その3」で言及してみたのですが
(袖の色が変わった)女性側ではなく、直義側が使うのはちょっと不自然かな…と思い
(他にもあれこれ考えた末)やはり前後の和歌から
これは墨染めの袖に着替えたという意味に取るべきだろう
という結論に達したのですが…ですが…

↓↓↓

>「さまかはる」という語 〜 出家をするという意味…
うわあぁぁっぁぁーーーー!!!
知りませんでした!!
こんな回りくどい考え方しなくても、詞書のこの一語で答えが出ていたんじゃないですか!!
古語って、何の変哲もない普通の言葉に特殊な意味があったりするので本当に困ります…
というか、ほぼ書き終えた次回の記事どうしよう…w
知識が無いと、勘違い妄想ばかり膨らませて後で泣きを見るの巻、です。いつも。

貴重な情報ありがとうございます。また一つ賢くなりました!! m(_ _)m
Posted by 本サイト管理人 at 2017年07月02日 22:31
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