2017年01月22日

『太平記』の「鬼切鬼丸」の話って…(その4)

こんばんは、それでは一昨日の…
「『太平記』の「鬼切鬼丸」の話って…(その3)」の続きです。


『太平記』は、その特質を的確に捉えると
これを史料として利用する場合の「読み方のコツ」が見えて来ます。
この辺の話を、いつかじっくり語りたいな〜と思いつつ
とりあえず今は
適当に思い付くまま「試論0号機」的な話でテスト飛行しておきますプロトタイプガンダム。


さて、『太平記』の筆者については
応安7年(1374)5月3日の『洞院公定日記』に
「先月末頃、太平記の作者の小嶋法師が亡くなったらしい」
(『大日本史料』応安7年4月是月)
…との記録がありますが(※ちなみに、小嶋法師は素性がほぼ不明(2017.1.24追記))
ただこれは、尊氏の時代が終わってから16年後の出来事なので
出来ればもうちょっと前の、尊氏直義現役時代の証言が知りたくなる訳ですが
そうすると、今川了俊の手記『難太平記』に
「ある日、法勝寺の恵珍上人が「等持寺」に
 『太平記』をまず30巻ほど持って来たので、三条殿(直義)がこれを玄恵法印に読ませた」
…との記述があります。

『太平記』の内容からして
政治の中心である幕府の "外部" の人間による執筆である事は確かでして
(当時の禅宗界の最高峰、かつ天下政道の師であった夢窓国師についての記述が
 妙にしれっとしている…というか、なんか他人事な感じ)
おそらくこの歴史書の制作は
顕密系の「法勝寺」を拠点にして、複数の僧侶によって進められたものだろう
…と言われています。

これほどの学問的知識があって、世の中を客観的に観測出来て
因果の理(ことわり)で歴史を叙述する能力がある人物
…と言ったら、当時の僧侶以外いませんからね。
まあこれは、なるほどフムフムな結論だと思います。


ただ、一般に『太平記』って
「かなり恣意的な "作り話" が盛り込まれている」と思われていたりしますが
しかし私は
「筆者の僧侶たちによる、根拠のない "100%作り話な話" は無い」
と考えています。
彼らはかなり純粋に
いま目の前で起こっている時代の変動から、悲劇にも似た歴史の転換から
「真実」を読み解きたい―――
その思いで、この書を綴っていたのだと思うのですよ。
だとしたら、そこに身勝手な作り話を交える意味がどこにあるのか?
そんな事してしまったら、「歴史」も「真実」も台無しな訳です。


『太平記』は、人の運命や歴史の流れを「因果」で説明するために
滅びたものを "悪" として描く傾向があると言われていますが
確かに、ちょっと無理矢理な論理展開が無きにしも非ずとは言え
しかし、これはあくまで "現実" をもとにした解釈を語っているに過ぎません。
(だからこそ、時に無理矢理な感じになってしまうのだろう、と。)

『太平記』に見られる「正しさへの希求」「道徳的不義への批判精神」からしても
"安易な嘘" を交えてフィクションを展開する意図は無い
と見るのが妥当です。


ただ、そうは言っても
確かに『太平記』にはうさんくさい話もわんさかしている…
これはどう説明するのさYOU?…


…という話は、また明日以降に続きます。



posted by 本サイト管理人 at 23:58| Comment(0) | ☆開店休業中(2016.10.1-2017.6.13)
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