2016年06月24日

足利基氏25歳

こんばんは、先日はようやく
義堂周信作、初代鎌倉公方足利基氏(もとうじ)による
「令叔直義に捧げる三部作を紹介出来て感無量でありますが
解説だけで終わってしまったので、今日は久々に妄想イメージ図を描いてみました。

(※関連記事はこちら↓
 『Muromachi通り』「故令叔大休寺殿に捧ぐ詩(うた)」
 『バーボンMuromachi』「『Muromachi通り』通信【大休寺殿に捧ぐ詩】」


と言っても、解説の方もまだちょっと気になる所はあるのですが…
例えば
直義基氏は観応3年(1352)2月頃「一緒に月を見た夜がある(たぶん)」
…とか言ってみたものの、やっぱ飛躍し過ぎかな〜と思ったり
それから直義の緇衣(しえ。墨染めの衣)
亡くなった時に実際に着ていたものか? それともあくまで遺品の一つか?
…というのも気になって気になって仕方ないし(もちろん前者であって欲しい…)
そもそもこの詩は
「貞治3年(1364)2月26日の直義十三回忌の為に詠まれた」に違いない!
…という推測も、9割方そうだろうとは思うけど、絶対と言う保障も無く―――


どれも確かめようが無いので、これ以上考えても無限ループでしかない訳ですが
でもまあ、可能性として最も高い説を採用したつもりですので
強引にマイ解釈で三部作のイメージ図を作成してみました。

貞治3年(1364)2月26日
亡き養父を想い続ける12年目の足利基氏25歳(数え)です。




足利基氏、月




足利基氏、花




足利基氏、衣




基氏初登場!! …のわりに完成度低くてすみません。
しかも、私の中でのデフォルト基氏
直義が見た最後の姿であろう、元服直後の数え13歳の基氏ですので
今回の25歳バージョンはイレギュラーだったりします。(初登場なのに… )
デフォが幼君なので、25歳でもちょっと幼めです。


(ちなみに、意外に思われるかも知れませんが(それとも当然かな?)
 観応3年(1352)2月25日の基氏の元服式には
 尊氏と共に "間違いなく直義も参会している" …と思われます。
 詳しくはまた後日。)




私は直義がものすごく好きなせいで
直義を好きだった直義以外の人物に感情移入してしまうのですが
基氏は…
もうめちゃめちゃ気持ち分かる! 手に取るように分かる!!
(…と自分では思い込んでいる。)
この三部作を読んでいると、ほとんど基氏になりきっちゃって指先まで痛くなってくる
(…というくらいには重症。)

まあとにかく、基氏は全直義ファンの代弁者ですよ。
よくぞこんな史上最高超名作を残してくれた!!
歴史的にも文学的にも感動的にも、奇蹟としか言いようがない!!



ところで…
紫荊花は、あくまで "花蘇芳" という名で知れ渡ったのが江戸時代であって
 それ以前から細々と日本に渡来していただろう」
と推測しましたが…
まあ、禅僧の来朝最盛期な鎌倉時代後期に
「鎌倉幕府の別格御家人足利家の邸宅(or 隣の「浄妙寺」)に
 大陸の珍しい花の咲く樹が植えてあった」

というのは十分に有り得る無理の無い話だと思います、うん。

(というか、当時紫荊の樹があったとしても
 それは直義の居た「浄妙寺」「大休寺」周辺なのか?
 それとも基氏の住む「足利邸」の庭なのか?
 というのもむっちゃ気になるポイントですが… まあいいいか。)


ちなみに、現在の「浄明寺」の境内は四季折々の花の咲く素敵な場所ですが
ちょっと検索した感じでは紫荊(花蘇芳)の樹は無いようです。
(…たぶん。 もしあったらどんなに小さな樹でも嬉しいので
 知っている方がおられましたら教えて下さい m(_ _)m )



当時の紫荊花はどんな花を咲かせていたのだろう〜
とか考え出すと止まりませんが
もし、いつかまた「浄妙寺」の境内で紫荊の樹が満開に花をつけて
その隣に小さな看板でも立てられてこの詩が添えられて…
そんな日が来たとしたら
直義にとっての最高の弔いになるだろうなぁ… と夢見てしまいます。

というか、基氏に感情移入する全直義ファンの聖地になるに違いない!!
そしたらきっと、基氏が流し続けた
春の花のような笑顔に変わる事でしょう。


…と、今日もバーボン室町の片隅で
淡い妄想に耽る夜であった。



-
posted by 本サイト管理人 at 23:53| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: