2016年06月19日

『Muromachi通り』通信【大休寺殿に捧ぐ詩】

こんにちは、『Muromachi通り』最新記事UPのお知らせです。
今日は、ちょっと寄り道して
「故令叔大休寺殿に捧ぐ詩(うた)」
です。

若干頼りない独自解説ではありますが
他の方の考察の参考になればと、私の思うところをとりあえず全部語ってみました。


この詩はどうも、すべて実際のエピソードを素材にしてるらしい…
という事はすぐに気付いたのですが
墨染めの衣という印象的なそれらが
物語と見紛(みまが)うほどに美しく描写されていて
漢詩ど素人な私でも、目前に当時の情景が甦る感覚を覚えました。

これは基氏の想いの深さか、義堂周信の技量の為せる業(わざ)なのか
それもあるけれどやはり…
ここまでの詩が生まれるほどに、直義愛されるものを持った人だったんだ…
というのが、私の一番の感想であります。



ところで、この詩が作られたのは
貞治3年(1364)2月26日の直義十三回忌だろうと推測しましたが
実はこの年は、尊氏の七回忌の年でもあります。
(※尊氏は延文3年(1358)4月30日卒)

年忌の法要はだいたい
一回忌(1年目)、三回忌(2年目)
七回忌(6年目)、十三回忌(12年目)、三十三回忌(32年目)

…辺りが重視されていたようですが(あとは百回忌(99年目)とかも)
尊氏七回忌に際して長寿寺殿(=等持院殿に捧ぐ詩は
「空華集」には見当たらなかったような…


あれ… 基氏? どうなってますの?
とかいう話は置いといてw
まあ、尊氏は大きな争乱がひとまず終息してしばらく経った頃
(一時的にとは言え)平穏と言える日々の中でで他界したのだし
基氏亡き実父尊氏の菩提を弔う為
鎌倉の『長寿寺』(尊氏のお墓がある)を整えていますから
当然法要は欠かさなかったろうし、心から冥福を祈り続けていたでしょう。

それから尊氏の鎌倉滞在時(観応3年(1352)正月〜文和2年(1353)7月末)
に教えられた(しょう)をちゃんと習得していたり
その後の鎌倉のしっかりした統治を見ても、着実に父尊氏の跡を継いでいますから
実の父は実の父で尊敬し、また敬愛していた事は確かですが
そうするとむしろ、突っ込むべきは…

尊氏スルーではなくて)「直義への追慕が尋常ではない」

という点なのではないかと。


つまり、この三部作から読み取れる基氏の感じ方
直義の死因についての若干の考察材料になるんじゃないか?と私は思うのですが…




直義コードの☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆予感!?




『太平記』にあるように
直義の突然の死が病死(黄疸)」と発表された事も
それを聞いた世間の人々が「(尊氏による)毒殺を噂した事も事実だとは思います。
その上で私は諸般の事情から
「病死」という発表は、直義が自ら命を絶った事を伏せる為の口実だと考えていますが
(…ただ、最近ほんの1%だけ別の可能性も考え中(後述↓))
一応「真相は闇の中」という前提で話を進めてみますと…

普通に「病死」という抗いようのない運命だったとしたら
10余年も経てば、もう少し気持ちの整理が付いていてもよさそうな気がするのですが…
いやもちろん、何年経とうが忘れられない悲しみがある事も事実ですが
ただこの時代は、今よりもずっと死別というのが身近にあって
寿命も50〜60年生きればそれなりに全うしたと言えた訳で
心から愛する養父とはいえ、享年46歳
(まあ、直義にはまだ何十年も生きて欲しかったけど)
しかも、子供の頃の感受性って大人ほど悲観的ではないと思うし
それなのに、数え13歳の少年の心にここまでの記憶を残した真相って…
と思うと、やはり何か事情があって

 「もっと生きていたはずなのに先立ってしまった」

という悔やみ切れない最期だったのではないか…?と、思ってしまう訳です。

其の二「対花懐昔」の第一句で
 「紛紛世事乱如麻」つまり『観応の擾乱』に触れていて
 何かしらの関連を感じさせるのも気になるところ。)




そうすると、「毒殺」か「自ら命を絶った(服毒)」か… となって来ますが
しかし流石に毒殺だったら、ここまで養父直義を慕って止まない基氏なら
尊氏に明確な反抗心を示すか
遁世するなりの強硬手段に出ていてもおかしくないと思います。
禅宗への姿勢を見ても、その後の鎌倉の統治を見ても
 基氏は実はかなり芯が強い。)


まあ毒殺説に関しては、その他の事情を勘案しても
尊氏にとって直義を守る理由はいくつも有れど、自ら失う理由は一つも無く
実は最も有り得ない選択肢だったりするのですが、一応確認しておきました。
(※直義の最期についての考察は、今のところ概略ですが
 『Muromachi通り』「暑中御見舞い申し上げます」の前半もどうぞ。)



という訳で私の結論としては、この三部作
「直義が自ら命を絶った事の僅かながらの補強材料となるのではないか
と考えているのですが…
『観応の擾乱』が起こらなければ、こんな運命をたどる事も無かっただろうし。)

ただ、幼い基氏が当時どこまで正確な真相を知り得たか?という問題もある訳で
もしかしたら基氏自身は
「不自然なまでの突然の急逝」という事しか知らなくて
しかし大人たちが言う「病死」という理由も、状況からはとても信じられず
真相が分からなかったがゆえに
一連の擾乱が養父直義を追い詰めたのではないか… という思いが残り
ここまで悲しみを抱え続ける事になってしまった
という可能性も無きにしも非ず…


(てゆうか、『太平記』には
 「2月26日忽(たちま)ちに死去し給ひけり、俄かに黄疸という病に犯され…」
 とあって、さらに「天正本」だと
 「(それまでは)病床に伏し給う事もなくて …… 俄かに逝去(黄疸で)」
 とさえ書かれていますが、全然酒豪でも無さそうな直義
 いきなり黄疸でしかも一晩で死に至るなんて事有り得るんだろうか…??
 とか思うけど、まあこれ以上病死説に突っ込まなくてもいいか。)


…とすると
その場合の真相の可能性としては「自らの服毒」というのも考えられますが
ただ、それ以外の "もう一つ" として…
(基氏が元服した2月25日の翌朝というピンポイントな日時である事から
 かなり確率は低くなるけど)
本当に "たまたま" の自然死だった、という場合が考えられ
もしそうだとしたら、それは―――

 「直義の事だから、召されるべき時に天に召されたってだけ」の話

とかいう "天の仕業" だった可能性が…

(すみません、おかしな事言っている様ですが
 どうも直義は若干人智を超えた不思議ちゃんな所がある、というか…
 すみません、やっぱり変な事言いました。)




ちなみに、当時「自ら命を絶つ」といえば普通は切腹であって
服毒というのは特殊過ぎるように思われるかもしれませんが
私は "とある理由" から
(基氏だけじゃなく)それこそ尊氏にさえ、一目では原因が分からなかったくらいに
直義の最期は "静寂な姿" だったのではないかと考えています。
(だから服毒天の仕業だろうと。 …え、は無いって?)


いずれにしろ、前夜2月25日の光王(=基氏)の元服式までは
なんの変わりも無く元気だったのではないかな
いつものように、優しく微笑んでいたのでしょう。



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posted by 本サイト管理人 at 16:11| Comment(2) | 『Muromachi通り』通信
この記事へのコメント
初めまして。
ここ3年ぐらいで遅ればせながら室町時代の魅力に目覚めまして
色々と調べていたところこちらのサイトに辿り着きました。
『戦国黎明記』と『Muromachi通り』の方も拝見させて頂き、興味深い内容ばかりでした。
「観応の擾乱」「応仁の乱」「明応の政変」
取り扱っておられるテーマが素晴らしいです。
ここ20年ぐらいで研究が随分進んだようですが
しかしまだ地中深くに鉱脈が眠っていそうな分野でもありロマンを感じます。

直義の最期については『太平記』の記述そのままに
尊氏による毒殺を当然視する見解がかつては主流だったようですが
近年は尊氏は和睦を望んでいた、尊氏に直義を亡き者にする理由は無いという見解が見受けられます。

私も直義の死去が基氏の元服の翌日という事からしても
尊氏による毒殺は無いと考えます。
もしそうだとすれば基氏の元服に泥を塗ったも同じなので。

ただ、「尊氏は毒殺していない」という見解もよく見ると一枚岩ではなく
峰岸純夫先生や亀田俊和先生は病死説を
黒田日出男先生は義詮による毒殺説を唱えておられますね。
直義の意思による自死説は珍しいのでしょうか。

私自身は確証は無いのですが
「ひょっとしたら義詮が毒殺したのかも……」
という気持ちがあるので義詮による毒殺説について
もしよろしければその妥当性について見解を伺う事が出来れば何よりの幸いです。

とりあえず論点としましては
・義詮は師直が殺害された事で直義を恨んでいたのか?(義詮と師直は親しかったか?)
・義詮は御前沙汰を行う事で直義の権限を奪ったのか?
・南朝との講和条件に直義の追討が入っていたのは義詮の意向か?
・義詮が直義の殺害を目論んだ場合、義詮の手足となって動く人間はいたか?
大体この辺りでしょうか。
初めての訪問で長文失礼致しました。今後とも当サイトを楽しみにさせて頂きます。
Posted by avay at 2018年02月10日 17:10
>avay様
返信が遅くなってすみません!
長くなり過ぎてしまったので読みにくいかと思い、ブログ記事として投稿してみました。
こちらです↓
http://nblog.reisenki.com/article/182400408.html
本当に無駄に長いです、すみません。
Posted by 本サイト管理人 at 2018年02月13日 03:46
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