2016年05月22日

結願の日

こんにちは、先日(5月8日)は無事に
GWの "尊氏直義認定祈願" 修法結願(けちがん)のを迎えましたので
本サイトTOPページを元に戻しておきました。

(※この話は先日の…
 『Muromachi通り』「2016年GW企画 国宝『神護寺三像』」
 当ブログ「『Muromachi通り』通信【2016年GW企画】」を。)


修法と言っても
凡人風情が律儀に10日間きっちりなむなむしただけですが。


ところで生直(なまただ)って、普通に生直(きすぐ)と読むと
素直で言行に飾りのない事、生真面目って意味の言葉で、まんま直義なんですが
つまり、やっぱり直義は生に限るって事なんですよ!!

…まあいいか。
いやむしろ、生より妬いている直義の方が… ってそんな好みもどうでもいいか。


まあでも「修法」というのは
この時代は、公家だけでなく室町将軍の必須ネタでもありますし
特に尊氏直義時代は、主宰の意図を探ると見えて来るのもがあったりするので
是非気に留めておいて下さい。




五大虚空蔵法☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆尊星王法あんど五壇法!!
テッテレッテレー 天下泰平!!




さて今日はちょっと
前回の記事「ひとまず尊氏直義観」の補足をしたいのですが…
先日頂いたコメントを切っ掛けに
やや言い足りなかった部分の補足
もう一歩踏み込んだ直義論を展開してみましたので
こちらのコメント欄も合わせて御覧頂ければと思います。
(私の返信コメントは「本サイト管理人」名義の長文です。)


で、改めて記事本文を読み返して思ったのは
確かに、言われてみると全体的に尊氏age仕様になっていて
相対的に直義がそうでもないみたいな論調になっている…ような気がしなくもない
もちろん、そんなつもりは全く無かったのですが
何と言うか私は…
自分の中であまりに当たり前の事実だったが故に

直義は、右に出る者の無い実務能力を持った「天下執権の人」(※)である」
(※…『園太暦』康永3年9月23日、12月22日)


という、大事な大前提を言い忘れて
直義の意外な部分だけを並べてしまったので
何それどこの直義だよみたいな事になってしまっていたかも知れません。


まあ、直義については本サイト『2-2』をはじめ
これまでも散々言及して来たので
「どんだけスペシャルな存在か」という私の基本の直義評
だいぶ伝わっているかと思っていたのですが…
というか直義ageしすぎだろおめー!!」くらいに
うざがられているかと思って、むしろちょっと控えていたんですが
(うそです。あんま控えてません)
まあともかく、現在のメジャーな直義評といえばやっぱり
【佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫)1974】
…が決定版です。 特に p.224-228、p.262-263 あたりを。
一部引用しておきますと…


「こんなふうに直義は論理的な考えかたの持主であり、
 自制心に富み、ケレンのない誠実な人であった。
 容易に妥協しない、筋を通す人間だったことも、
 これまでの行動で理解できよう。」

(p.225-226 より引用)
(※けれん(外連)…はったり、ごまかし。)


これが実証史学の第一人者による紛れもない実証的考察結果!!
まさに 直 義 !!
…ただ、これに続く
「こういう人間は人に冷たい感じを与える。…(以下略)」
という所とか、それからp.246-249 の部分は
"直義は旧来の名門武家惣領家のみを優遇した"
みたいな誤解を生みそうで、所々ちょっと異議有りですが。
(失礼なこと言って本当にすみませんw)
でも、不動の1位を誇る南北朝期本の頂点(本だけでなく中世史家としても)の著者
直義理解の第一人者(=つまり直義ファン)でもあるとか
ほんとに有り難い話であります。
この本のお蔭で、どれだけ直義の良さが知れ渡った事か。




ありがてぇありがてぇ☆*:.。.:*・゚(−人−。)゚・*:.。.:*☆なむなむなむなむなむなむ…




まあそんな訳で、一応ここで私からも改めて明言しておきますと
直義の人間性執政の能力の高さは日本史上でもトップレベルであって
政道の理念・実務の両面で
ここまで高度に洗練された事が出来た人物は
直義の他には、鎌倉幕府の執権北条泰時北条時頼あたりくらいかと。
はっきり言って、現代よりも未来を行ってると思います、彼らは。

敢えて違いを言えば
北条は理念遂行の為ならドライになれる割り切ったプロ意識があったけど
直義は自分でも
善根に心を傾け過ぎると、政道の支障となって
 世の中が上手く治められなくなってしまうのではないか…」
 (『夢中問答集』)

と不安を抱いていたらしい、という優し過ぎる所がある訳ですがw
でもそれが直義の最大の長所であり
それを時代が求めていたからこそ
あの動乱の中から、尊氏直義という二人の将軍が誕生し
長い歴史を繋いでいく定めを受ける事になった、のではないかと。




それから、つい尊氏を重点的に語ってしまったのは
私にとって一通り探究した結果
直義より尊氏のが「既存のイメージが大きく覆って驚きが大きかったから」
というのもあります。

なんと言うか
直義「これまでのイメージの上に、新たに新イメージが加わった」
という感じなのですが
尊氏の方は「これまでのイメージそのものが覆ってしまった」
という感じで
尊氏てきとーと思っていた私には)正直、初めはかなり受け入れ難く
え、え、マジでそんな切れ者だったの??
と一人であわあわ焦りながら (((( ;゚Д゚))))アワワワワワ…
すぐには信じないで、あくまで可能性の一つとして慎重に調査を進めたのですが
結果はまあ… その通りでした。

同時代の人々から見た尊氏というのは
 (現代のイメージに近い)ゆる目で慈愛に満ちた親しみ易さを持つ一方
 非常に将軍らしい不動の貫禄を備えていたようで
 天岸慧広によれば高さ低さ
 夢窓疎石によれば平寛孤峻(緩さと孤高)」
 を合わせ持った人だそうです。)



もちろん、この尊氏観は私の主観という訳では無いのでご安心下さい。
もともと私はそんなに尊氏ファンではなかったので(すまんw)
自ら好んで尊氏ageする動機は持ち合わせておらず
ただ単に客観的事実なので受け入れた
& これが切っ掛けでめっちゃファンになってもうた

という次第です。


というか、歴史考察においては
普遍的道理に基づく善悪の評価は必要不可欠なものですが
(↑"過去から学ぶ" というのは、人間の根源的な知的活動なので。
 これを正しく行えた人間だけが進化・発展出来る、とも言える)

しかしそれ故、主観的好悪で考察を曲げてしまおうものなら
その時点で研究の価値は地に落ちて、これまでの苦行が水の泡…となってしまうので
客観性の保持は、極めて重要です。


例えば私もかつて
直義好きとして)『観応の擾乱』がつらくて直視出来ない… (´;ω;`)
とか怯んでいた頃は、知識も浅く、それ以上踏み込む予定もなかったので
心の赴くままに 高もろ○お ムキィィィーーーーー!!!!
と思ってぷりぷりしていただけですが
本格的に史料から探究すると決めてからは、主観を封印し
客観的立場からの事実の追究評価に徹しました。

(この辺の話はいずれ解説する事になりますが
 『観応の擾乱』以前直義高師直の関係って
 これまで思われてたのとかなり…
 というかむちゃむちゃ違うのですよこれが。
 だから『観応の擾乱』全容評価もだいぶ変わって来る訳です。
 一言だけフライングしておくと…
 直義は本当に優しい主君だったんだなぁ…と。(´;ω;`) )




ついでに言うと私は、道理・道義的に正しい人間が大好きなのですが
(というか、私の好きの基準はそれでしかない)
直義や(イメージが変わった後の)尊氏
それで "結果的に" 好きになっただけであって
好きだから良い人認定して持ち上げる、とか
まして都合よく史料を曲解したり取捨選択するという事は
そもそもしない(というかしたくない)ので
どうぞその点もご理解下さい。

(まあ逆に言うと、道理・道義的に(極端に)悪い所が見つかると
 すぐ嫌いになってしまうのですがw
 しかし、なるべくそのものではなく行為について断じて
 「なぜこんな間違いを犯してしまったのか?」
 と考察するように心掛けています。
 …自分も(全然)完璧な人間じゃないしね (´・ω・`) )





さて、ちょっと話が逸れましたが
そんな訳で私も以前は、尊氏の事をてきとー兄貴www」とか書いて
適当に解説してしまっていた事があるのですが(本当にすみません)
尊氏の実態を知るようになってから慌てて訂正した、ってゆう。(せこい)
(本サイト『2-2』は、少しだけ当初の論調の面影を残してありますが。)


まあ良く考えたら
単に運がいいだけであんなに戦が強い訳ないですからね。
尊氏はめっちゃ頭の回転の速い極めて優秀な人物だった」
というイメージは
なんか唐突で何それどこの尊氏だよ!って感じかもですが
(…え、そうでもないですか?
 (二股派ではない)尊氏単独ファン尊氏像って結構こんな感じ??
 この辺疎いのでよう分からん… )

しかし…
 
「これだけ優れていたにも拘わらず、なぜ直義に政務を譲ったのか?

というのが、実は最大の焦点だったりするので
尊氏はあんま何も考えてない単なるラッキー☆ボーイという理解だと
直義に政道を任せたのも至極当然(=自分じゃ出来ないから)
で話が終わってしまい
この最重要な核心を見逃してしまう事になるので
やはり、尊氏の正しい人物像は確立しておく必要があるかと思います。




大賢は☆*:.。.:*・゚(´・ω・`)゚・*:.。.:*☆なるが如し




あと、記事本文ではなく(私の)返信コメント自体も
もしかしたらちょっと誤解を招きそうな部分があるので
補足の補足をしておきますと…

まず、尊氏政務執行能力があった事を示すのに
観応3年(1352)正月以降の鎌倉での執務を例に出しましたが
まあ普通に、倒幕〜幕府再興(=建武3年(1336))まで時期も
尊氏発給文書は各種たくさん残っていますね。
それ以降の直義執権時代は、恩賞関連などのごく限られたものだけになるものの
それ以前の尊氏を普通に知っている当時の人々からしたら
尊氏に政務は無理」という認識は皆無だったろうと思われます。

それなのになぜ現代では
"尊氏できない子" 感が優勢を占めているのか、というのが面白い所ですがw
(まあ、将軍になってから政務に(一見)ほぼノータッチじゃ無理もないか)
でも改めて当時の史料を見直すと
『梅松論』はもちろん今川了俊の『難太平記』や東国武士の『源威集』
(将軍となって以降は)『太平記』でも、その他日記諸記録説法などなど
当時の人々からは
(極めて良い意味で)"将軍らしい将軍" として見られていたんだな〜
という印象を強く受けます。

(とは言え、適当でいい所は本当に適当…というのもまた尊氏の一面ですが
 一方で、一見てきとーwwとか思われる所も
 実は強い考えがあってやってる事だった、みたいな場合があって
 (↑これは私欲企みではなく、正しい信条決意に基づくもの)
 気付いた後で (((( ;゚Д゚))))アアアアァァァーーーー ってなりました。)




それから直義について
「建武」から「暦応」への改元で「文」の字を提案した話は
本来一般的には
「文治」を志した直義の政道方針を象徴するエピソードとして
よく引用される "良い話" です。
(※参照は【佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫)1974】
 …の p.227-228 を。 どうもこの本で言及されている事は
 共通認識として扱ってしまいがち… )


それを踏まえた上で
ただ当時の社会通念(とにかく先例最重視、先例に無い事をするとなると
軽く錯乱が始まる)
を考慮すると、ちょっと無邪気のような…w
という意味であって
しかし私は "ここまで" を含めて、直義らしいすごく良い話だと思っています。

より良い天下を夢見てひた走る直義の頭の中には
 社会常識に遠慮して善行を諦める」という発想がそもそも無いw
 ただ、この改元の件については
 公式の強引な要求…というのではなく
 どうも内々のちょとした善意の発案程度の話だったようですが
 (『大日本史料』暦応元年8月28日)
 とは言え "善行とあらば何ものをも恐れなくなる" という大胆さ
 他でも随所で見られる直義の特徴で、私も大好きな所なのですが
 この直義の考え方に最も共感を覚えていた公家側の人物と言えば…
 間違いなく光厳上皇、ってゆう。)



と言っても、当然ながら直義
道理に悖(もと)るような先例・社会通念の壊し方は決してしていません。
普段は人一倍謙虚礼儀正しく
守るべきものは律儀過ぎるくらい大切にする秩序を重んじる人物」であった事は
(天下への意を同じくする)光明天皇・光厳上皇への崇敬をはじめ
数々のエピソードが示す通りで
直義がいたからこそ、善悪の崩壊しかけたあの時代がギリギリで秩序を取り戻した
というくらい功績のある人ですが
しかし、それは決して盲目的に古い慣習に追従していたのではなく
道理に照らして "守るべきもの" "越え得るもの" とを適切に判断していた
という、合理的かつ能動的な思考の持ち主なのです。

(つまり直義は「時代を守ると同時に時代を動かした」と言えるかと。
 どちらかだけが出来る人間は珍しくありませんが
 両方を(正しく的確なバランスで)遂行出来る人物は
 歴史上でも数えるほどかと思われます。)




"天下の為" という根本姿勢も
よくある自己正当化の建前ではなく
あるいは、理念だけ空回りして実際の考えや行動が全然天下の為になってない…
…ような空論でもなく
しっかりと(天道)に根ざした道理・道徳を身に付け
衆心悦怡」(天下万民の喜び)
利益(りやく)平等(「利生塔仏舎利安置状」)を祈り
万民の塗炭を救い」「撫民の仁政(『吉野御事書案』)
の実現を常に追い求めていた直義
現実を見据えた公平公正廉直な政治を実践しています。
(この辺の信条は『建武式目』やその『追加法』にも良く表れています。)




こんな(ちょっと誤解されかねない)ややこしい話をしたのはなぜかというと
直義は「考え方が古風でひたすら懐古的だったが為に
新しい時代に応じた政道を行えず、支持を失って失脚した」

…みたいに解釈されている事がありますが
決してそんな事ない!!という事を示したかった、ってのと
もう一つ、一般に直義は
真面目清廉な人間性と、傑出した執政能力を評価される人物で
直義のすごさを説明するにはそれだけでも十分過ぎるとは思うのですが
しかし私は、それすら直義の一面であって
直義の真価はその "ビジョン" にこそあると考えているからです。
未来図を描く特殊能力とでも言いましょうか。)

そして、そのビジョンに推進力を与えていたのは
光厳上皇、夢窓国師、直義
この三者が等しい価値観・天下観を共有していた、という事実であって
ここに、初期幕府の最大級の特徴があると考えています。



直義の政策を指南し支えていたのが夢窓国師…というのは
良く知られた事実ですが
これら天下の諸政策(…例えば『天龍寺』建立や全国「安国寺利生塔」
各種供養などなど、味方も遍く弔い、天下の安寧を願い仏法を紹隆
国家の秩序形成から万民の救済をも目指した大事業の数々…)
には
常に光厳上皇の関与が見られ
「直義の政策を権威の面で保証し
 国家事業としてのダイナミックな展開を可能にしていたのが光厳上皇だった」

という点もまた、非常に重要かと思います。

(これは、光厳上皇の立場から見れば
 花園帝から受け継いだ理念を現実として形にしてくれるのが
 武家である直義だった、という事になるかと。
 「天下の為には武家と力を合わせるべき
  (武家の安寧天下安全の源)」
 という考えを光厳上皇が抱かれていた事については
 『Muromachi通り』「直義の年齢(その2)」
 上から3分の1辺りをどうぞ。)



この時代の北朝は、どうもひどく過小評価されていて
史上最も…とすら言いたくなる高尚な政道理念がほとんど顧みられる事もなく
全く力の無い何も出来ない存在…みたいに未だに思われているのが
残念極まりない訳ですが
当時の治天の君(=院政で政務を執り行う上皇)光厳上皇だったからこそ
直義の理想が思うままに大きく羽ばたけた
といっても過言では無いのです。

(もし少しでも、天下万民の繁栄より
 自身の栄華朝家の権威高揚を優先するような価値観の帝だったら
 確実に直義とは上手く行ってないと思う。
 光厳上皇は本当に少しもそういう邪念が無いマジ菩薩帝、というか…
 ある意味尊氏直義をも凌ぐ大菩薩帝やで (´・ω・`)
 民の為なら容赦なく自分のすべて犠牲に出来る、とかいう
 最強最後大菩薩帝なんやで (´・ω・`) )



王道撫民の価値観を共有するこの三者が同時代に生まれ合い
国家事業を主導する地位にあったというのは
改めて考えると信じられないような奇蹟だと思うのですが…
シナリオ書いたの誰だよ状態。
(しかも揃いも揃って徳の高さ菩薩レベル
 菩薩ファンにはたまらんラインナップ… (−人−。)なむー )




他勢力と比較した場合の "北朝幕府の特異性" とでも言いましょうか
あの時代に
 「なぜ最終的北朝幕府が天下を治める地位に就いたのか?」
という問いについて
単に「武力で優ったから」というのは結果に過ぎず
武力で優れるほどに人心を得たのはなぜか?」
という点を考える必要がある訳ですが
(↑この点も「武士の得られる方を選んだだけ」
 との理解に留まっていますが、それも一面ではそうだとしても 
 それだけだったならもっと勢力が拮抗して
 2〜3年政権の交代を繰り返していたはずでは?と思う)

つまり、あの時代の対立構造の根本には
単なる軍事力権威の優劣、利害の大小ではない
もう一つの "真の視点" があったのではないかと。


実は、北朝幕府南朝では
国家のビジョン天下の捉え方に関して "明確な違い" があるのですが
この根本の思想面での対立勝敗こそ
この時代の根底(言い換えれば『太平記』の根底に流れる真の命題であり
そして、実にその戦いは時代を超えて続いている、すなわち…

 現代にも問われるべき大命題である

…という話については
まあとりあえず今日はこの辺で、いずれまた。
一言だけ言っておきますと
光厳上皇、夢窓国師、直義は… 現代より遥かに未来を行ってると思う。




(以上、光厳上皇直義の関係ばかり言及してしまいましたが
 光厳上皇は、尊氏に対しても非常に厚い信頼を寄せいていて
 尊氏もまた等しく深い敬愛の念を持っていた
 …という事実については、これは『観応の擾乱』以降の世界で
 とっても泣ける話の序章となるので覚えておいて下さい。)

(ちなみに、擾乱中の尊氏の(北朝に対する不誠実な)行動は
 みな解釈の誤りなのでご安心下さい。
 (尊氏やった… (´;ω;`) )
 ただし、事件の真相は別の意味で落胆悲歎罪業に満ちたものなので
 こちらは覚悟しておいて下さい… orz )





初期幕府の研究というのは
幕府創設まで『観応の擾乱』前後の "戦乱期" の政治史に比べて
幕府開始 〜『観応の擾乱』までの "幕府安定期" の政治史の分析が
やや盲点になっているような気がするのですが
しかしこの期間は
尊氏や、特に直義思想・人間性をダイレクトに反映した
文書文化史料が多数残されていて
尊氏直義ファンにはお宝ざくざくのボーナスステージだったりするのです。
(もれなくスペシャルアイテム
 "直義の未来図" がゲット出来ます (; ・`д・´)なぬ!!? )

これらの分析によって
尊氏直義の人物像二人の関係性が正しく理解されれば
(二派の対立的に解釈されて来た)幕府の構造
『観応の擾乱』の解明が一気に進むのではないかな〜と。


(とりあえず、この時期の参考になる文献は…
 【西山美香『武家政権と禅宗 ――夢窓疎石を中心に』(笠間書院)2004】
 …の、T部「初期室町政権と夢窓疎石」
 をどうぞ。 かなり世界が広がる…というか
 読んだ前後で世界が変わる文献です。)





そろそろ☆*:.。.:*・゚( − Д−)゚・*:.。.:*☆終わります




という訳で
今日も史料的に情報価値の無い面白くない話になってしまいましたが
今後の解説に先立つ見通しという事で、一応記してみました。


尊氏直義も、それぞれ本当に素晴らしい人物だという事と
二人の真価を問うには、この時代を少し違う視点で描き直す必要がある(と思う)
という事を言いたかったのですが
まあ、説明が下手なので上手く伝わっている自信がありません。

でも私は、二人の事を深く知ってから日本史のイメージが変わった…というより
日本のイメージが覆ったってくらい衝撃を受けました。


(どこの星から来た宇宙人だよみたいな客観的な言い草ですがw
 でも、日本人による日本史の理解って
 (↑これは研究者による歴史学ではなくて、国民意識的な意味で)
 大事な視点を欠いているというか
 勝ち負けとか形式上の権威とか絶対的で圧倒的な権力とかいった
 "表面" を追い過ぎていて
 本当に重要な部分がブラックボックス化してしまっているため
 未だに自分達の事がよく分かっていない
 (あるいは、分かったつもりで誤解している)
 …みたいな所がある。)



…ってまあいいか。

本当はこの辺も上手く伝えたいのですが
なかなか力不足で限界を感じつつあります。
(先が遠すぎて心が折れてきた (´・ω・`) )

その点、直義はすごいですね
あんな無限のロマンチストはいないと思いますw
誰もが現実に妥協してしまうような所でも、独り情熱を絶やす事なく
人々を "感化" していく力を持っている。
直義の願文とか仏舎利奉納状とかは、自筆のものが結構残っているのですが
どれもなんか… キラキラ光っているのですよw
泰平の天下を夢見ている時の直義の清く澄んだ心には
無限の未来が見えていたんだろうなぁ…と。


私も相当感化されたのだと思います。
だからこうしてあほみたいにのめり込んで、色々知る事が出来たのであって
そろそろ折れそう… (´・ω・`)
とか言ってる場合じゃないんですが(訓練の足りない室町マニア… )
でも、文献読んで史料漁って考察繰り返して
意識朦朧の苦行の果てにようやくゴールが見えたかと思ったら
たどり着いたのはスタート地点だった
…とかいう「え、え、」な事態に遭遇してプチ虚無。(←今ここ)



たぶんこの時代には
現在失われてしまったもの、蘇るべきものが隠されていて
尊氏直義が見ていた世界が大きなヒントになるはず…
というところまでは分かった(…ような気がする)のですが
宝の地図があまりに果てしない大きさで
これ全部一人で描くとか、マジ折れそう… (´・ω・`)



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posted by 本サイト管理人 at 17:11| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)
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