2016年05月05日

ひとまず尊氏直義観

こんにちは、GW三箇日ですね。 もんもんとしてますか?

もんもんは溜めると体に良くないので
なんかしらの手段を講じて発散した方が良いですよ。


さて、初めにお知らせですが
ブログ『Muromachi通り』『バーボンMuromachi』のデザインをちょっといじって
横幅を広げてみました。「M通り」の方はさらにサイドバーに変更。)
なんか窮屈だなぁ…
と前々から思いつつ、気のせいかと思って見て見ぬ振りをしていたのですが
試しに広げてみたらこの開放感!!
やっぱり気のせいではありませんでした。
ちょっともんもんも解消されました。



というか、『Muromachi通り』とは別に
このチラ裏ブログ『バーボンMuromachi』を始めたのはそもそも
『Muromachi通り』の方のように史料・文献に基づく歴史解説となると
どうしても記事を書くのに時間がかかってしまうのですが
しかし、日々歴史の事を考えていると
言いたい事が後から後からわらわらと溢れ来ては、ぎゅうぎゅう背中を押して来て
言いたい、なんかてきとーに言いたい!!
という押さえ切れないもんもんに襲われ
目下記事の作成にも支障が出て来る始末なので
とりあえず、史料解説とか気にしないで
思った事を思った時に言葉にしてしまおうと思った訳で。

まあ、先日の『Muromachi通り』「2016年GW企画 国宝『神護寺三像』」
史料根拠の提示すっ飛ばして言いたい事言いまくってますが
こんな風にたまには
考察過程抜きで結果だけ言い放ちたいのです。

(そんなフライング解説に、どれほどの需要があるかは分かりませんが。
 え、やっぱり誰も待ってないですが、そうですか… ('A`) )





以下↓☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆チラ裏全開!!





ところで、現在の一番メジャーな "尊氏直義観" ってどんなもんだろう?
と最近よく考えるのですが
近頃は、尊氏直義の人間的な面に注目した研究も進んでいて
かなり愛情の深い兄弟だった事が見直されつつありそうで嬉しいですが
ただ一方で、今もやはり
『観応の擾乱』二人の政治的対立とする理解が圧倒的に主流なので
そこに生じた溝が埋められないまま放置されている…ような??
なので、人によって仲良かったり悪かったりと様々で
メジャーな説のない妄想自由時代みたいな事になっているような気がしないでもない…
まあつまり、よく分からないです、はい。



(※ちなみに、『観応の擾乱』の真相については
 根本の原因やその変遷本当の対立構図
 かなりなにその地動説で、ちゃぶ台が地面から壮大にひっくり返ります。
 そもそも、政道に「正しかるべき」正しさを求め
 「天下政道 "私"(=私曲)あるべからず」と公言していた尊氏
 道理に則り無私に徹する直義の政道をこそ望んでいたのであって
 本来、二人の間に政治的対立は起こり得ないし
 尊氏直義政治の場から排除、なんて事は
 常識的に考えると有り得ない話なのです。
 …え、普通に現存文書に「直義誅伐…」とか書いてあるじゃん
 何言ってんのあほなの?…とか思われそうですがw
 しかし、それはあくまでで観測した目に見える文字
 これを重力波で観測(…するようなつもりで考察)し直してみると…
 全く別の宇宙が現れて
 これまで未解決だったあらゆる疑問
 尊氏の数々の不可思議な挙動から
 南朝帰順問題、鎌倉問題、直冬問題、高経問題まで

 すべての矛盾が嘘のように綺麗さっぱり繋がって万事解決!です。
 尊氏何の為に戦っていたのか?
 『観応の擾乱』は一体何から起こったのか?

 この辺がポイントです。
 ……。
 すみません、またフライングしますた ('A`)ウッウー )


(※重力波については「下野の国からチョコクッキー」
 「KAGRAで宇宙の話」をどうぞ。)




うん、まあいいか。

ちなみに、私の尊氏直義観の第一印象はというと…
当初は直義の事ほとんど知らなかったから印象そのものがない、すまんw
でも『応仁』『明応』の予備知識として調べ始めた頃の感覚は
結構標準的なイメージだったと思うのですが
尊氏てきとー直義実直
そこまで通じ合った何かがある兄弟だとは思ってなかった、といったところです。

それが今となっては、異次元な宇宙に移り住んでしまったかのような
この吹っ飛ばされ感… (´−ω−`)



私の話は、現在の一般的な説と違い過ぎて
そろそろ信用失い始めてるんじゃないかなぁ…と、自分でも薄々思っているのですが
私も初めからこんな考えを持っていた訳ではなく
当初はもちろん通常の感覚でしたし、それに疑問を抱くつもりもありませんでした。

というのも「初代将軍足利尊氏」ともなると
メジャー過ぎて存在が大き過ぎてどうも敬遠してしまう…というか
場末でちまちまやりたいタイプの私が入り込む隙間など無い!
と決め付けていたのでw


…と、そんな訳だったのですが
ただ、ちょっとした切っ掛けでちょっとおかしいな?と思う所を
もうちょっと調べてみようと思ってちょっとした気分で探究を始めてみたら
ちょっとどころじゃなく大変な事に気付いてしまって
ちょ、ちょっとちょっとどうなってるのさこれ!!と驚いて
史料の沼に本格的に嵌り込んでゴボボボ…とした結果
通説とは大幅に違った見たこと無い生き物(という名の真相が掴めてしまって
自分でも「なにこのクリーチャー…」とか戸惑っていたりします。


実は、あまりに意外な事実が続々と明らかになってくるもんだから
何月何日に何に気付いたかを、途中から日記にメモするようにしていたのですが
(↑ちなみに、今もまだぽつぽつと新事実に気付く事があって探求は終わらない… )
それを見返してみると
なんて遠くに来てしまったのだろう… と、自分でもなんか気が遠くなります。
やっぱり初めの段階ではまだ
『観応の擾乱』は、少なからず尊氏直義の決裂だと思っていたし
その頃の尊氏は、「清水寺の願文」直義の幸せを願った頃の尊氏とは
もう変わってしまったのかもしれない…
あの願文は、一時の感情の高ぶりでしかなかったのかもしれない…
という可能性も持っていました。

(もちろんこれについては
 尊氏直義に対する感情は変わっていない…どころか
 より一層深くなっていたとすら言えるのですが。
 実際、決裂&毒殺エンドよりつらいで (´;ω;`)
 "最愛の果ての絶望" とういのは… )



私も以前は、みんなと同じ景色を見ていたはずなのに
気付けばこの景色を見ているのは私だけになっていた、という感じで
ちょっと本当の事言うと… かなり空しいw (´;ω;`)
私の相手してくれるの妄想の中の尊氏さんくらいww

でも、知ってしまったからにはもう後には戻れない
私が見ている景色を真実だと信じてくれる人はいるのだろうか
所詮、トンデモ説として笑われているだけだろうか
…という不安は、もうめちゃんこあるのですが
それでも、そんな不安よりも
本当の二人を知ってもらいたいという思いのが遥かに優るので
こうして歴史の片隅から細々と発信を続けている訳であります。




以下↓☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆尊氏直義全開!!




まあ、そんな訳で今日のところは
私の今の尊氏直義観を好き勝手述べてみますと
一般には
尊氏のがちょっと頼りない所があって、しっかり者の直義がサポートしていた」
という感じかと思いますが
実際は、直義のが危ういところがあって
(↑これは悪い意味ではなくて「綺麗過ぎる故に疑う事を知らない」という意味で)
なので、常に尊氏が陰で目を光らせていた
(=何かあったらすぐ助け舟出す、ただし気付かれないようにw)
という感じです。

(※実は『観応の擾乱』も、事の起こりは二派の政争などではなく
 とある陰謀によって引き起こされたものなのですが
 最初の段階では、直義はその真相をほとんど知らなかったのですよ。
 つまり、一方的な被害者だったのです。
  (´;ω;`) 直義かわいそ過ぎる…
 ちなみに当然真相に気付いていた尊氏は、最悪の事態を回避しようと
 その陰謀を骨抜きにするべく(陰で)奔走したのですが… うーん )




それから、尊氏のが感情的で、直義堅物って思われていますが
実際は、尊氏は非常に本心を隠すタイプ
(↑といってもこれも良い意味で。人に暗い部分を見せない為に
 どんな時も断固としてワロス仮面を外さない、ある意味孤高の将軍
 なにそれかっこいい (´;ω;`) )

一方、直義は全く隠さず何でも言っちゃう性格だから、表情も豊かだっただろうし
人への思いやりに溢れまくった人ですから
冷たい堅物どころか、一緒にいてこんなに温かさを感じる人もいなかろうと。
(↑この誤解はほんと出来るだけ早く解けてほしい…
 マジ直義はぬくぬくやで (´・ω・`) )

直義は、禅僧達からの評価が非常に高いのですが
人の本質の求道者たる禅僧達に人気絶大なら
俗人からも、男女問わずもてただろうなぁ〜と思う。


尊氏は基本的に、人前では極力明るく振舞う強い人間だけど
(↑たまに "演技で" いじけて見せる事はありましたが。
 なんか鬱とか言って遊ばれてますけど!実際はワロス仮面の下の素顔
 神仏の前か、足利高経(=いわゆる斯波高経)にしか見せてませんよ
 …まあ鬱ネタはそれはそれでおもろいから好きだけどw)

反面、直義喜ぶ時悲しむ時も目一杯素直だから
意外にも「守ってあげたい」と思わせるのは
尊氏より直義の方だったのだろうなとw


尊氏は、決断力の早さや、戦での的確な軍配
 恐怖の中で笑みを浮かべる底知れぬ余裕や、慈悲深さ
 …といった要素からするに
 "頼もしさ" "包容力" という点で絶大な支持を受けていた
 というのが実際でしょう。
 優柔不断と言われてるのは、どうも根拠が見出せないのですが??
 建武2年(1335)11月〜12月の奏上出家出陣騒動は
 それぞれ明確な意志に基づく行為なので。)




みんなに支え守られるドジっ子尊氏、というキャラ感は
結構主流派だし、かなり愛されていると思うので
それを否定するのも無粋だな… とは思うのですが
でも、表面的にはそんな感じだったのは確かだと思うw
何より本人が、本当はそうでありたいと思っていたのではないかなぁ…と。
軽々しく振舞ってみんなに慕われていたいと言っていたという『梅松論』の記述や
その他の無邪気なエピソードからすると。

ただ… 頭が良過ぎたばっかりに
世の中の流れから人の心の奥底まで、なんでも見通してしまって
それは本人にとっては、結構孤独な事だったんじゃないかと思います。

それなのに
生涯、天下を愛し続けた優しすぎる将軍なのですよ (´;ω;`)
たぶん日本一…いや、宇宙の果てまで探し回ってもこんな将軍いない…



それから直義自身の主観では
 「自分は全精力を傾けてを支えている!!」
と思っていたと思いますw
もちろん、それはそれで合ってはいるのだけど
 「守っているつもりが守られていた
という直義の実態がなんとも…w 
(本当にドジっ子天然なのは直義だと思う… )

つまり、どちらも表面的にはこれまでの一般的なイメージそのもので
ただ「中身がまるで逆」ってゆう。


なんというか、基本的にこの兄弟は
見た目中身が逆でズコー!な上に
いつも尊氏は何でも知っているけど、直義は何も知らなくってこれまたズコー!!
そんな兄弟。

おそらく、直義の正体でさえも
尊氏だけが知っていて、直義本人は生涯知る事はなかったんじゃないかと―――




おっと☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆その話はそこまでだ




という訳で、今日は思った事ばっかになりましたが
これらの考察結果は一応すべて
本サイト『2-9』「歴史を見る目」で述べたように
脳内で3Dロボを無数に構築する無理ゲーを繰り広げた結果であり
最大限客観性を保って最も合理的唯一解を求める事を目指したものです。
まあ、私の脳みそのやる事なので
まだ理論に穴が残っている可能性はありますが(すまぬ… (´;ω;`) )
でも、私の主観による好悪で理論を曲げるような事は決してしていませんので
ご安心下さい。


言いたい事言ったら
お蔭でまたもんもんが少し軽くなりました。
めでたしめでたし。



-
posted by 本サイト管理人 at 17:38| Comment(4) | 観応日記(尊氏、直義)
この記事へのコメント
興味深く読ませてもらっております。自分で史料を読もうと思っても、漢文を読む能力も根気も乏しいので、大日本史料を通読されたという貴方を心から尊敬致します。

貴方の説では大変仲のよい兄弟だったというので、嬉しく思います。ただ、尊氏がそれだけ頭が良くて優れた人物であり、政治方針も直義と同じだったとすると、もうこの人一人でいいんじゃないかなという気がしてきて、直義の歴史的存在意義が少し不安になってきます。貴方の書き方では、直義があまり有能ではなかったと言っているように思えるので・・・。
Posted by ねこ at 2016年05月07日 08:17
>ねこ様
鋭い視点のコメントありがとうございます!! なんか色々とはっとしました。
しかも尊敬だなんて身に余る言葉、私もまだまだ修行中のぺーぺーであります m(_ _)m
『大日本史料』というのは、何に注目するかで全く違った見え方のする書物でして
私は基本的に、幕府(中央)関連以外は綱文(=見出し)と注釈の流し読みなので
公家関連や、武家関連でも奥州や九州の事となると…かなり弱いですw
「やばい、豪語しすぎた\(^o^)/」とか若干焦っていますが
これを嘘にしない為にも、少なくとも尊氏直義関連箇所は頑張って読解を進めたいと思います。

さて、直義の事についてですが…
「尊氏と相対した場合の直義の歴史的存在意義」
という視点がなんかもう素晴らし過ぎて
お蔭でまた色々と直義考にターボがかかりました。
確かに、これまでの尊氏直義観なら
「直義あっての尊氏」であり「幕府を運営し得たのは直義がいたからこそ」
という点に疑問なく納得出来ますが
実は尊氏は「弓矢の将軍」(『難太平記』)だけでなく
「政道」でも将軍の能力があった、となれば
直義の立場は…ってなりますよね。

(ただ「尊氏と直義は、幕府権力を主従・統治権で分掌していて
 二頭政治体制に生じた齟齬が『観応の擾乱』を "必然的に" 招いた」
 とするさらに従来の尊氏直義観だと
 「(鎌倉への回帰を目指した)直義は
  新しい時代の息吹の前に滅び行く運命だった」
 という感じで、歴史的存在意義が、え…無いの… orz
 みたいな事になっている気がしますがw
 まあ、尊氏直義の権力の二元性に関しては、だいぶ修正が進んでいるし
 直義も単に鎌倉を盲目的に懐古していた訳ではないので
 この説については、固執する事はないと思います。)


で、結論から言うとやはり「幕府も尊氏も "直義あってこそ" 」であり
直義の有能さは、同時代の武士では並ぶ者が無いと共に
代わる者の無い、唯一無二の特筆すべきものを持っていると思います。

(どうも私の中では、直義の有能さは異論の余地の無い大前提
 …という認識に達しているのでうっかり書き漏らしてしまい
 誤解を与える文章になってしまいました。
 全く以て直義マニアの落とし穴に嵌りました、面目ないです。)

確かに、尊氏は "政務執行能力" という点では
一人でも十二分にやっていける能力があった、という事実は
観応3年(1352)正月に
直義と共に鎌倉に入って以来の尊氏の行動が示していますが
ただ、尊氏は
建武3年(1336)12月の後醍醐天皇の吉野潜幸の際
「運は天の定める所、浅智の強弱によるべからず
 (=人の浅知恵でどうこう出来るものではない)」(『梅松論』)
と言ったと伝えられるように
世の中の流れというものを良く知っているが故に
それに能動的に介入しようとする意思があまりない…だけでなく
未来に対してどこか怯えているような所が垣間見え
いつでも未来に対し積極的な直義とは、対照的と言えると思います。

それから尊氏は、何度暗殺の危機に晒されようと
あくまで朝敵になる事をためらい続けたように
根っから武士の性(さが)に生きているような所がありますが
直義は、道理に基づいた行為なら、朝敵になる事も辞さない…というか
天道に適っているとなったら、もう何でもやってしまえる性格です。


直義は誠実で実直であるが故、その政道も徹底的にオールドタイプで保守的
…というイメージで見られてしまっている事が多いですが
これが意外にも、考え方が新しいし柔軟なんですよw
天下の為に正しいとあらば
当時の社会常識なんて簡単にぶち破ってしまう大胆な所があるのです。

例えば、「建武」から「暦応」への改元で
「文之義」(=王道と覇道で言えば "王道" のこと)を守って
「文武並用」の天下を目指す為にも
今度の元号には「文」を入れると良いと思います!!
…と進言したり
(これ自体はすごく良い話だし、天下への熱意も分かるのだが
 朝廷の管轄である改元に、この時代で武家が意見するのは
 かなり斬新というか、無邪気すぎるw)
それから
元弘以来の敵味方全ての戦没者の冥福を祈り、天下泰平を願う為
全国六十六州二島に一寺一塔の設置を進め
その寺号と塔号を「安国寺・利生塔」と命名する事を希望し勅裁を願うも
塔号については、本朝(日本の朝廷)では過去に先例がない事だったので
朝廷では決定までに紆余曲折を経た…とか
あと、修法についても
天変地異・兵乱・災害への対処や天下泰平・静謐の祈願など
国家的な祈祷の為の修法の主宰は、元来公家が担っていたのですが
直義は「五壇法」と「尊星王法」で武家による主宰の先規を開いていて
その他、"公" の為の修法を積極的に修していた傾向があります。


こういう例を挙げると、なんだか直義が独善的な
下手すると専横的にすら見られてしまいそうですが、決してそうではなく
これらがみな "天下の為" を目的としたものである事と
これらの背景には、夢窓国師との師弟関係と
何より光厳上皇との信頼関係がかなり色濃く反映していると考えられます。
(特に「利生塔」の塔号については
 光厳上皇は何とか武家(直義)の期待に応えたいと
 廷臣に諮問を繰り返していたように思われます。)
みな一見控えめそうに見えますが
実際は、天下万民の救済・安楽に臨んではとても柔軟で情熱的な思考を持っていて
(特に、保守的な公家達を納得させ得たのは
 花園帝から薫陶を受けた光厳上皇の
 天下を万民のものと考える思考と熱意の賜物だと思います)
当時の天下政道は、この三者の未来への考え方が一致していたからこそ
次々と実現し、形になって行ったのだと言え
この関係はかなり重要なポイントではないかと、個人的には思っています。

「宝積経要品」もよくよく考えるとユニークな企画で
これも三者が関わっていますが
これらのような発想は、尊氏も出来なくは無いとは思うけれど…
やっぱり直義独自の突拍子の無さwというか
他には無いアイデアを持ち、それを実現してしまう行動力は
尊氏から見ても感心してしまう "直義らしさ" と言えるように思います。


直義は、その長ったらしいw裁許状や、「夢中問答集」での理知的な問い
所領の安堵に際しては、きっちり当知行・不知行の在地調査を求めた事
朝家への律儀さ、当時の超一流の禅僧達との交友関係
和漢聯句を好んだ事… などなど
非常に現実的で論理的な思考の持ち主だし
真面目で折り目正しい人物なのは間違いないのですが、反面
未来に対して、何ものをも憚らず
際限のない希望を抱ける子供のような発想を持っていた
…と言えるのではないかと。

『夢中問答集』の最後の問答「夜半の日頭」という言葉に対しても
尊氏だったら、それを言葉として素直に受け入れつつも
心のどこかでは眩しい希望に目を伏せてしまうような所があるのですが
直義はといえば、「絶対にいつか夜半に日は昇る!」
と本気で信じてしまえるような所があるのです。

室町幕府が始まった時というのは
従来の常識が壊れ
婆娑羅大名に代表される一見派手で勢いのある時代だった一方で
その実態に目を向ければ、鎌倉幕府が終焉し
既存の制度を大幅に塗り替えた建武の新政も挫折に終わるという
あらゆる秩序が崩壊の危機に瀕していた時代な訳で
この真夜中のような世界では
おそらく直義くらい、純粋に未来を信じ無防備に希望を抱ける人間でなければ
国家のグランドデザインを描く事は出来なかっただろうと思います。

そういう意味では、直義の情熱こそが当時の天下再建の原動力だった
…と言ったら言い過ぎかも知れませんが
ただ、この直義の無邪気な無防備さを(陰で)保障していたのは
他ならぬ尊氏の存在であって
そしてまた、これほどの直義の政道への熱意というのは
どうもその根源を探ると
尊氏(への思い)が原動力となっていたようなのですが…


…という訳で、話が長くなってすみません。
直義の事となると言いたい事が多過ぎて
もう自分でも何言ってんのが分からなくなってきましたw
まだまだ全然言い足りないのですが
これ以上返事が遅くなっても申し訳ないのでとりあえず切り上げます。

こんな言葉足らずじゃ上手く真意が伝わらず
また余計に直義観を壊してしまうんじゃないだろうか…
と思うと不安ではありますが
少なくとも私は、直義のイメージが変わるにつれて益々好きになりました。
それと同時に、尊氏が直義を好きだった理由もすごく分かって来たw
…とか思っている最中です。
Posted by 本サイト管理人 at 2016年05月08日 05:44
詳しく書いてくださって有り難うございます。これからも更新を楽しみにしています。
Posted by ねこ at 2016年05月08日 21:20
>ねこ様
こちらこそ考察の幅が広がり感謝です!頑張ります!
Posted by 本サイト管理人 at 2016年05月09日 02:52
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