2017年08月04日

『新千載和歌集』の隠し扉(その1)

おはようございます
全6回にもわたり直義のスクープ和歌の話を語り倒したところですが
妄想が熱暴走して未だ冷めやらないので
今日は、その後日談的な〜何か、みたいな感じで
『新千載和歌集』の中の気になる歌を、いくつか見ていきたいと思います。


(※以下、歌の出典は…
 【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】
 歌の意訳は私による適当です。)


(それから、和歌の配列についての知識として…
 【深津睦夫『新千載和歌集の撰集意図について』
 (『皇學館大学文学部紀要』第39輯 2000年12月)】

 …を是非読んで頂きたいところですが
 入手の手間暇を考えるとそう簡単ではないと思うので
 ネットで公開されている論文として…
 【谷崎たまき『『古今和歌集』の構造と配列:恋の部を中心に』
 (『国文目白』51号 2012年2月)】

 …が参考になるかと思います。
 論文名で検索するとすぐ見つかります。
 (論文のネット公開は本当に有り難い!)
 和歌素人の私としては
 「和歌の並びって、意味があったんだ〜」
 という基本中の基本な知識に、純粋にわくわくしました。)




それでは参りたいと思います。
まずは「秋歌 上」より、直義の和歌


貞和二年百首歌めされし時  左兵衛督直義
露ながら ちくさ吹きしく 秋風に みだれてまさる 花の色かな

(露をまとったままの千草が、秋風に吹かれ乱れて
 花の色が一層艶(あで)やかさを増している… )



これは、ネットで検索すると丁寧な解説も出てきて
わりと知られた歌の一つだと思います。

「秋」の部に収められている歌なので
秋の野の情景を印象的に詠い上げた、野趣あふれる 季節の歌 です。

……。

ちょっと… 妄想を掻き立てられる様な気のせいがほんの少しだけ勘違いしてしまう気がしないでもない歌ですが。
(ちょっと? いやかなり… )


で、でも周囲の和歌を見ると
「秋風に みだれにけりな…」とか「…しをれぞまさる 花の色色」とか
「…秋の野の 花の下ひも とけもしぬらん」とか
わりと妖艶な表現が目に付くので
た、直義の和歌も、その中で見ると別に特に浮いているとかじゃないし
秋の野というのは、一般的にこう、艶っぽい印象を与えるものなんですよきっと。
(キャピった夏☆が過ぎて、しっとりした大人の落ち着きが出る季節〜というか
 すまない子供は帰ってくれないか的な熟した季節〜というか… )

だから直義だって、別に普通に秋の情景を詠っただけです!
なんか別のそういう二重の意味を持った歌だとか
そんなの考え過ぎです!!
直義が、そんなみんながドキッとしちゃうような大人な歌をしれっと詠んで人々の妄想心に火をつけた挙句に大炎上させて収拾不能な事態を招くような真似をする訳がありません!! ><


うん、そうだ。 そうに違いない。 落ち着け自分。




あーさて(少々取り乱してしまったので)
気を取り直して、この直義和歌の次の歌でも…


題しらず  前中納言匡房
たとふべき かたこそなけれ わぎもこが ねくたれがみの あさがほの花



「わぎもこ(吾妹子)」=「わぎも(吾妹)」
男性が妻・恋人などの女性を親しんで呼ぶ語。
「ねくたれがみ(寝腐れ髪)」は、寝て乱れた髪、寝乱れ髪のこと。
「あさがほ」は、「朝顔」と「朝の寝顔、寝起きの顔」の掛詞。
(※↑この朝顔は、秋の七草の一つで桔梗のことらしい。)

つまり―――

例える言葉が見つからないな〜 寝乱れた髪をした我が愛しい妻の朝の顔は…
じゃなかった、今の無し!今の無し!
朝顔の花は本当に綺麗だなぁ〜(棒読み)」


…という歌。



……。(←フリーズ中)

ぐわあぁっぁぁぁぁぁーーーーーっっっ!!! (←のけぞった)

なんちゅう歌を直義の歌のに持ってくるんですか!!
これじゃまるで直義の歌が…
…え、あれ?
てゆうかつまりこれはそのあの…

直義の歌も(もろ)そういう意味って言いたいのかぁぁっぁーーー?!?!!!

おい誰だ! こんな細工したやつは!!
わざわざ平安後期の大江匡房の歌まで持ってきて
狙い過ぎだろ!


(完全に遊ばれている… )


直義を何だと思っているんでしょうか?
それとも、直義ファンアクロバットなサービスしてるつもりなのでしょうか?
どんな気の利かせ方だよ。
これは、撰者の二条為定のセンス…な訳ないですよね
どう考えても尊氏の仕業入ってますよね?

またしてもやつの気配か…


 (´・з・) 〜♪


ちなみに、大江匡房(おおえのまさふさ)は当時の一大知識人&歌人
だから歌の文学的価値は間違いなし!の勅撰集の常連歌人!!
でも、だからって何もここに陳列しなくったって…(むしろ珍列)
しかも、この直義和歌の直前に配置された和歌の冒頭は
直義和歌と同じ「露ながら」で始まっていて
これは…
前後の和歌の関連性に、意地でも注目させようとの配慮に違いない!(疑惑)
どんだけ仕込みに抜かり無いんだよ。(深読)




では折角なので
この直義和歌を前後の歌と共に、少々書き出してみたいと思います。



建武二年内裏にて人人題をさぐりて千首歌つかうまつりける時、秋植物
弾正尹邦省親王
露ながら をるべきものを 宮城野の もとあらの萩に 秋風ぞ吹く

貞和二年百首歌めされし時  左兵衛督直義
露ながら ちくさ吹きしく 秋風に みだれてまさる 花の色かな

題しらず  前中納言匡房
たとふべき かたこそなけれ わぎもこが ねくたれがみの あさがほの花

広義門院
露ふかき 霧のまがきの 朝ぼらけ しをれぞまさる 花の色色




邦省親王は、後二条天皇(※後醍醐天皇の異母兄)の第二皇子です。
広義門院(西園寺寧子)は、光厳帝と光明帝の母上です。
「宮城野」は、萩の名所。
「もとあら(本荒)」は、草木の根元の方の葉がまばらなこと。
「朝ぼらけ」は、明け方、空がほんのり明るくなって来た頃。
「まがき」は、竹・柴などを粗く編んで作った垣根。

ちなみに、この4首の前には「萩」を詠んだ歌が並んでいます。



…こうして見ると
「露」とか「秋風」とか「朝」とか「花」とかの共通項で
一見、上手く繋がっているように見えはしますがしかし―――
騙されてはいけない!
なんか3首目の大江匡房の歌は、妙ぉ〜に浮いている気がする!!(独断)

(でも、この4首の周辺は総じて
 秋の「野辺」の広がりを感じさせる歌になっているのに
 この匡房の歌だけ、秋を表している部分「朝顔(桔梗)」だけですよ?)


この辺りは全体的に
秋の風情をしんみりと、しかし胸に迫るように印象的に詠んだ歌が並び
ひと際あざやかに「季節」という情緒を感じさせるこのエリアにおいて
直義&大江匡房の和歌のところだけ局地的に…


「秋歌」ってカテゴリ感、吹っ飛んでるんですけど!
ここだけ別の宇宙を形成してるんですけど!
何歌エリア?なんですかここは!!



この、あからさまな狙って仕込みました感
ばれてないつもりなのか、それとも、突っ込み待ちなのか。
いい加減、後世の私達がリアクションに困るような事するのやめて下さい ><

広義門院さまの歌も、若干、援護射撃しているような気もしますが
 そう見えるのは、私の目が曇っているからに違いありません。)




6世紀半の時を越えて☆。☆*☆。 c(・∀・っ)ミ *☆。☆*☆突っ込みま珍将軍
まだかな〜 まだかな〜




まあ、とりあえず
尊氏が狙って仕込んだのは分かった。
ただ問題は
もともと直義はこの歌を "そういうつもり" で詠んだのか?
それとも、たまたまそういう感じになってしまったのか?

重要なのはそこですよ!
つまり、どっちなのか!!
以下、わたし的二択↓


【1】やはり直義は基本的にうぶで清いので、素でこういう歌を詠んでしまっただけ。
単に文学的な美しさを追求したらこうなったってだけで
周囲が勝手に赤面していても、一向に何が問題なのか気付かない。
そんな「真面目過ぎて一周回って面白くなってしまう」いつもの直義の平常運転です。
深読みしちゃった人は、滝に打たれて心を清めて来て下さい!!

【2】いやむしろ、実は直義はこういう大人のジョークを平然と嗜むダンディズムなキャラで
逆に、意外と純情そうな尊氏を「(/ω\*)キャァァーーッッ ///」とか恥ずかしがらせて面白がっていた
とかいうまさかの意外性
え、でも、あの聖人直義がこんな濃厚な感じの魅力を纏っていたら
男女問わず(一方的に)落ちてしまう人続出で大変な事になっていたんじゃ…
でも直義は「他犯戒」を持していた鉄壁の禁欲星人なので
決して愛人なんていません!! ><




まあ、ネタ的には
【2】の方が、新たな境地が開けて美味しく頂ける様な気もしますが
ただ、この直義&大江匡房の珍列和歌
直義が【1】のようなキャラだからこそ面白いものになるのであって
直義が当たり前にそういうキャラ(=【2】)だったなら
尊氏も、こんな細工を「ピコーン!」とか思い付かないと思うのですよね。


普段、めったな事ではやる気を出さない(←少なくとも表向きは)あの策士将軍尊氏
本気でネタを仕込みに来ている様子からすると
やはり、実態は【1】に近いのではないか…
と思うのですがしかし
「本当に偶然こんな歌を詠んでしまった」というのは
確率的に考えると非現実的過ぎて
マジカルの域に達していると言わざるを得ない―――
相当、ネタの神様に愛されでもしない限り有り得ないですよね?
そうするとやはり【2】なのか…
いやでも、直義の事だからそんな事(=ネタ明神様の強烈庇護)もさもありなん…。


ただ、もし【1】に近いとしても
直義は実際は、そんなにうぶとか奥手ではなかったと思います。
自分の好きなもの、愛するものに対しては、人目を憚らず情熱を燃やすタイプなので
いつでも自分の感情は公言していた事でしょうw
(そして周囲は赤面する (/ω\*)キャアァァァーーー/// )

あ、でも、尊氏に対してだけは
どうやら本音を言えずにいたようです。
(↑政策や天下の事なら、言いたい事主張しまくっていたでしょうが
 そういう公的な信念や信条に関する事ではなく
 私的な感情(好意)については、回りくどい伝え方しか出来なかったようです。
 うぶ…。)



それから、妙な傾向なのですが
現在に伝わる直義の「恋歌」は(←勅撰集や私撰集に残るもの)
なぜか、「秘めた片思い」とか「つらさと涙をひたすら隠す恋」とか
一方的に耐え忍ぶ恋を詠ったものが多いのですよね…
(多い…というかむしろ、そればっか。)

妄想恋歌だとは思うのですが(たぶん…。それにしても凄まじいMっ気である)
でも妙にリアリティがあるので
もしかしたら、何かしら内に秘めて我慢していた想いがあって
それを恋歌として表現していたんじゃないかな…
とか激しく疑ってみたりしているのですが―――




(すみません、妄想が変な方向に溢れて氾濫を起こしてきました。
 灌漑がなってません。)





ええと、話を元に戻しますが…
この直義和歌は、詞書に「貞和二年百首歌めされし時」とあるように
「百首歌」(=応製百首(応制百首))として詠進された中の一首です。

(※百首歌(ひゃくしゅうた)とは…
 勅撰集の撰集が決定した後、撰歌の参考資料(候補)として
 選ばれた歌人たちが提出する百首の和歌のこと。)


しかも「貞和二年百首歌」つまり『風雅和歌集』のために詠進した百首歌なので
まさに、光厳上皇花園法皇の叡覧に供した訳です。
(※『風雅和歌集』は光厳上皇の親撰、花園法皇の監修。
 親撰とは、天皇(上皇)が自ら撰歌を行う事。)

だから、文学的に大真面目に詠んだ歌である事は100%間違いなし!!
だったりしますから
そう考えると、直義の実態はやっぱり【1】…
しかし、だとしたら「素でネタ化してしまう」という才能において
直義の戦闘力は想像を遥かに超えているという新事実が明らかになり
これは、今後の南北朝研究を根底から覆しかねない大論争を巻き起こ…(せやな。)


あるいは、第三の選択肢として
「そういう意味の歌を純心で詠んだ」という
【1】と【2】の折衷案みたいな可能性も考えられるかもですね。
つまり―――
【3】美しいものに対してうっとりと陶酔し過ぎてしまう傾向がある直義は
恥ずかしい歌も恥ずかしいものだと思わずに素で詠み倒しては
一人、自給自足的な耽美空間にトリップしてしばらく帰って来なくなる癖があったので
居合わせた人々は、突っ込んだらいいのかそっとしといたらいいのか分からず
ただオロオロたじろぐ者、紅潮した顔を両手で覆い指の間から様子をうかがう者
諦めて帰り支度を始める者、ポップコーンとコーラを買いに行く者らが入り乱れ
場は一瞬にして阿鼻叫喚の様相を―――




というか、この直義和歌は光厳上皇のお目に留まったと思います?
百首もあって、しかもそれが30人分くらいある訳ですから
詠進された「百首歌」のすべてを細部まで…とはいかなかったでしょうが
でももし、偶然にもお目に留まっていたとしたら―――

直義の清さをよく知り、心を通じ合う光厳上皇だからきっと
(/ω\*)キャアァァァーーー/// とかなってしまわれて…

(ちなみに、貞和2年(1346)当時は光厳上皇数え34歳、直義数え40歳。)





ああ、なんか考え過ぎて何が何だか自分でも分からなくなって来ました。
つまり… 直義って何なん?
なんでたった一首の和歌で、こんなにネタが無限膨張するの?
宇宙なの?


という訳で、私には答えを出す事が出来ません!
後は各自、妄想をフル展開して直義の実態解明に勤しんで下さい!!

私は疲れたので、スタバでコーヒーでも飲んで来ます! 以上!!




ベンティダブル引両エクストラブラザーズアド尊氏☆。☆*☆。 c(・∀・っ)ミ *☆。☆*☆エクストラ室町withエクストラホワイト直義バニラヘーゼルナッツキャラメルエクストラむろまちっぷオールむるくムクストラホイップむっ茶むろまチーノ





はい、そんな訳で本日は
直義和歌の背後に見え隠れする尊氏さんの隠謀について探ってみました。
(というか隠れてない、むしろ丸出し)


先日の直義和歌といい、今回の直義和歌といい
尊氏が『新千載和歌集』の撰集を望んだのは
もしかしたら
直義の思い出永遠として残すためだったのではないか… とか
思ってしまうのは
二人の絆に特別を信じる私の、妄想が見させる夢なのかも知れませんが
でも、尊氏を動かした動機の一つではあったんじゃないかな、と
思っています。





あーさて
直義和歌の事を語り出したらまた止まらなくなって
結局、今日はこれだけで終わってしまいました。
…というか
直義和歌に執拗に絡む尊氏が面白すぎて
全力で全方位から突っ込まずにはいられませんでした。

という訳で次回「『新千載和歌集』の隠し扉(その2)」に続きます。



posted by 本サイト管理人 at 07:40| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)

2017年08月12日

Ashikaga チョコレート Shogunate

こんにちは。
ただ今、次回記事「『新千載和歌集』の隠し扉(その2)」以降を作成中なのですが
遅々として進まず
なかなか記事をUPする事が出来ません。
そろそろ自分でもイラッとが臨界気味に達してきました。
はぁ… (´・ω・`)

ああ、思っている事を言葉にするのって、ほんっと時間かかる。めんどくさい。
ちゃんとした文章にするのって、ほんっとむんどくさい。

まあ、どうでもいい感じのどうでもいい話なら別にどうでもいいのですが
わりと真面目な内容の場合は
私の性格的に完璧を目指してしまうので…
ほんっと、文章にするのむんどくさい。

なんかこう、頭の中を自動的に言語化する技術欲しい。
もしくは、私の頭の中を直接視聴してもらえる技術欲しい。
…いや、それはそれでかなり大問題だな。やば過ぎるな。

でも、話したい事たまり過ぎてしょうもないので
出来ればこう、日がな一日、室町ネタを勝手気ままにしゃべり尽くして
脳内領域を解放したい。ジャンクなファイル整理したい (´・ω・`)



ところで、「むっ茶むろまチーノ」って何ですか?
なんか、めっちゃ室町な感じですよね。
一見、抹茶フラペチーノっぽいようでもあり、似て非なるもののようでもあり…
まあ、前回記事で自分で適当なこと言ってみただけですけど
でもなんか、有りそうな気がしませんか?
え、しないですか、そうですか…。


でも、頼んでみれば意外と出て来るかも知れませんよ?
誰か、私とスタバで「むっ茶むろまチーノ」注文する勇気ある方いませんか?
まあ、私は恥ずかしいので後ろの方で隠れていますけど
無事注文出来たら、尊氏さんに献上しましょう。

結構、京都の「京都三条大橋店」あたりに出没してそうですよね、室町キャラたち。
三条殿のお膝元、三条通のあそこならきっと、むっ茶むろまチーノも…(ありません☆)

まあ私は、京都は残念ながら遠すぎるので
鎌倉の「鎌倉御成町店」あたりに直冬とか基氏とかが出没するのを期待して
鎌倉日帰り旅の時は、いつものコースに組み込んでみたいと思います。



てゆうか、思ったんですけど
"鎌倉" って(←現在の都市としての鎌倉って意味)
鎌倉時代とか鎌倉幕府を only な感じで推していますけど
まあ、当然ちゃ当然ですが
(寺院も遺構もほとんど鎌倉時代のものだし。
 その中で、いつもめちゃ混み竹の庭『報国寺』は相当に健闘している!)

でも…ですよ
鎌倉府を置いていた室町幕府
"鎌倉" にとっては、一応 かなり存在意義大きい と思うのですよね。
もっと "鎌倉" にとっての「室町」というものを
初代の尊氏さんの構想から、明確に掘り起こしてみた方がいいと思うのですよ。


というのも、私が思うに
尊氏さんは京都鎌倉「二大政党制」を目指していた形跡があるんですよね
天下を崩壊の危機に導いた『観応の擾乱』の収束と、その再発防止のために。
(つまり、尊氏さんはあの擾乱の原因をむっちゃ的確に見抜いてた。)
制度として完成を見た訳ではありませんが、構想としては…
これはどうなんでしょうか、世界初になったりするんじゃないでしょうか?
(世界政治史とかこれっぽっちも詳しくないので分かりませんが。)

わりとマジで、世界遺産ネタな気が…
やはり今こそ「鎌倉 in むろまチーノ」というものを再評価すべき―――

まあ、本拠地の京都にすらスルーされてる気味なので仕方ないか。
はい、解散ー…


って、諦めてどうするんですか!!
東西の室町幕府に属するっぽい方たち
西はスタバ「京都三条大橋店」、東は「鎌倉御成町店」に集って
至急、『室町復権再生会議 in サマー』を開いてください!!
私は鎌倉の方に参加しますので
それまでに、むっ茶むろまチーノを室町応援特別裏メニューとして用意…(しません☆)



まあ、むっ茶むろまチーノではありませんが
なんかすごそうな新作フラペチーノが一昨日発売されましたので
昨日、早速飲んで(食べて?)みました。

「スモアフラペチーノ クリスピーマシュマロ」とかいう
超チョコレート系のフラペチーノなのですが
あまりに尊氏さんが喜びそうな感じだったので
思わずその場で、タブレットPCでせこせこ記念お絵描きを始めてみてしまいました。
(流石に描き終わるまではいけませんでしたが。)


わたし的タブレットお絵描き!
まあ、液タブには遠く及びませんが、落書きは十分に楽しめました〜
…という絵↓


足利チョコレート将軍兄弟


超チョコフラペ (゚д゚)ウマー
なんかチョコとかビスケットとか色々サクサクしてて (゚д゚)ウマー
そのうちクリスピーなマシュマロがちょっとトロッとして来てまた (゚д゚)ウマー


尊氏さんのタレ目は、どうしても溶けたデロデロチョコレートを連想してしまうのですが
まあ、直義が目の前にいたら、チョコ目尻も溶けちゃうよね、しょうがないよね。


というか、スタバでお絵描きとか
なんて迷惑…(いやむしろ恥ずかしい)とか思われそうですが、大丈夫です
お盆休み初日の朝で、空いていましたから。

え、スタバが空いているほどの早い朝って一体…
朝いちからチョコでデロデロ。 何やってんだろう私。



posted by 本サイト管理人 at 13:29| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)

2017年08月16日

『新千載和歌集』の隠し扉(その2)

おはようございます
「『新千載和歌集』の隠し扉(その1)」の続きです。


(※以下、歌の出典は…
 【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】
 歌の意訳は私による適当です。)



以前、このブログでも紹介した
直義の清さを象徴してやまない有名な和歌の一つ


うきながら 人のためぞと 思はずは 何を世にふる なぐさめにせん

(この憂いの多い世の中で、人の為だと思わなければ
 何を生きていく慰めにしたらいいのか… )


これは『新千載和歌集』に撰出された歌なのですが
今日はこの和歌の意味を
周辺和歌との「配列」から考えてみたいと思います。



まずはじめに、(勅撰集の)和歌の配列について
簡単に復習(と予習)をしておきますと
和歌の配列には意味があり
 主題や含意、キーワードに関連性共通項を持つように並べられている」

(※配列の具体的な方法については、各種様々な手法があるようです)
という、基本の一つはだいたい分かって頂けたかと思いますが
これはつまり、和歌を文学的に見た場合の規則性です。

一方で、和歌というのは個人の作品ですから
「どういう思いを込めて誰が詠んだ歌か」という
私的な側面も重要になってくる歌もある訳で
そのような歌の場合
テーマ・単語の共通項のみならず
具体的「思い」や、「詠者」の関係に主眼を置いて配列する
という事もある訳です。

例えば、勅撰和歌集というものの性質を考えた場合
当今(or 治天の君)の詠歌や、その御代を言祝(ことほ)ぐ歌などで
意識的な配置・配列が見られる
…のは、分かり易い例だと思います。
(※当今(とうぎん)…当代の天皇。今上天皇。)


配列に込められたこのような意図については
先日から紹介しております…
【深津睦夫『新千載和歌集の撰集意図について』
(『皇學館大学文学部紀要』第39輯 2000年12月)】

こちの論文で
『新千載和歌集』における後醍醐天皇尊氏の和歌の気になる並びについて
重要な考察がなされています。
どれも非常に興味深い内容です。
なので全部紹介したいところですが、流石にそれは無理 (´・ω・`) …と諦めようかとも思ったのですが、やっぱりとても参考になる考察なので頑張って一例だけ引用で紹介したいと思います。



(※以下、上記論文の p.43-44より引用。)

 たとえば次の神祇部の九八二・九八三番の配列。

元弘三年立后月次屏風に、春日祭の儀式ある所を  後醍醐院御製
立ちよらばつかさつかさもこころせよ藤の鳥居の花のしたかげ(九八二)

                        等持院贈左大臣
諸人もけふふみ分けて春日野や道ある御代に神まつるなり(九八三)

 九八二番の後醍醐天皇の歌は、新葉集にも採られたもので(巻第九・神祇歌 五九四)、
後醍醐天皇の神祇歌としては代表的な一首ということになろうか。
朝廷に仕える百官に向かって春日の神徳に心するように呼びかけている歌である。
それに続く九八三番歌は、後醍醐天皇のそれと同じ元弘三年立后月次屏風の際の尊氏詠で、
正しい政治がおこなわれている今日、
臣下一同、春日社に参拝して神を祀ると詠むものである。
ここでは、春日祭をテーマとしつつ、
天皇が臣下に呼びかけ、
臣下を代表する尊氏がそれに応えつつ天皇のすぐれた治世を言祝ぐ

という構図が形作られていると見ることができよう。

(※引用ここまで。 改行と強調は、私による適当です。)




…という訳で
大変鋭い指摘&解説で、和歌の配列の奥深さを感じてもらえたかと思います。
つまりここにも―――
執奏者尊氏と撰者二条為定による『新千載和歌集』の隠し扉が!!
しかも今回、超真面目なやつ。
尊氏二条為定は、やればむちゃむちゃ出来る子。



この様に「和歌は、詠者に関して意図的に並べられる場合もある」
という予備知識を踏まえて
今日の本題に進みたいと思います。




本題!☆*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆本題!




さて、この「うきながら…」の直義和歌は
為政者としての直義の天下への無私の献身
人間としての直義の利他・他愛といった
直義が生まれながらに持つ本質を鏡のように映し出した珠玉の和歌であります。

人々の苦しみを思うだけでも、この世を憂いてやまない直義ですが
政道においてもまた
道ある世を目指し夢見る直義にとって
道の守られない現状に向き合う日々は、嘆きの多いものだったでしょう。
(※↑この辺の心境については
 『Muromachi通り』「画像修正しました」(2014.10.21)冒頭の
 上杉憲顕に宛てた直義の自筆書状の意訳をどうぞ。)

それでも、この天下にある人々の為だと思う事が
苦しみの中にある直義の唯一の支えになっていた、そういう歌です。

直義にとって、政道を担うという事は「人の憂いを除く為」であって
自己の欲心や権勢、自尊心の充足の為ではなく
本当に直義って、自分よりも人、人の幸せこそが自分の幸せという
天から降って来たような生まれながらの聖人
ナチュラルにして菩薩、仏界からいらしたとしか思えない救世の弥勒候補
そろそろ人なのかどうかすら怪しくなってくる 謎の生命体直義―――


(また直義の話で今日が終わってしまうところでした。)


それからこの和歌は、前回の直義和歌と同様
『風雅和歌集』撰集の際に詠進された「貞和百首歌」の中の一首です。
貞和2年(1346)という、天下の実質将軍直義(←幕政的な意味で)が率いる初期幕府の最盛期
「天下執権人」(『園太暦』康永3年9月23日)としての直義のありのままの心
治天の君である光厳上皇に伝えた美しい歌であります。


ちなみに『風雅和歌集』といえば
「雑歌 下」に収められた為政者直義の和歌…

述懐の歌の中に  左兵衛督直義
しづかなる よはの寝覚に 世中の 人のうれへを おもふくるしさ

(静かな夜にふと目が覚めると
 世の人々の憂いや悲しみが胸に押寄せて… 苦しい )


『風雅和歌集』の撰者光厳上皇の心を射止めたのはこちらの歌でしたが
ほぼ同じ心を詠んだ今回の直義和歌も
それを御覧になった時の光厳上皇の感激やいかに… (´;ω;`) 滝滝滝
いやむしろ、安定の以心伝心ツーカーで (ゝω・) v ブィ☆
…とか、「貞和百首歌」は妄想が無限に捗って困る。

(※光厳上皇直義の関係についてのとあるエピソードは…
 『Muromachi通り』「直義の年齢(その2)」(2015.11.3)
 こちらの前半〜中ほどをどうぞ。)



さて
そんな、単独でも十二分に貴重な情報を提供してくれる今回の直義和歌ですが
実はこの和歌は
その「配列」が、非常ぉぉーーーに気になるものとなっているのです。
つまり、ある意味こっからが本番!!
…の可能性が無きにしも非ず。というか間違いなくたぶんそう。(←尊氏的な意味で)



という訳で、問題の配列を紹介…するその前に
『新千載和歌集』どういう時期に誕生したものかという事を
今一度確認しておきますと…

『観応の擾乱』の最終決戦(直冬戦)が終結した翌年の、延文元年(1356)6月
尊氏の奏請より撰集が決定、開始され
そして最終的な全巻の完成は
延文3年(1358)4月30日の尊氏の薨去を経た、延文4年(1359)12月


つまり…
『新千載和歌集』は謂わば
『観応の擾乱』尊氏の人生の、締めくくりとなった歌集」
と言う事も出来ると思います。
そう考えると益々、この勅撰集に託された想いが重みを増して来る訳ですが…。

(※『新千載和歌集』には「後醍醐天皇の鎮魂」という意図が込められている
 …などの、当勅撰集の特質・基本性格については
 先日の記事「直義のスクープ和歌は謎(その5)」を御覧下さい。)




それでは、以上の背景を意識しつつ
今度こそ本題の「配列」を…

…と思ったのですが
長くなってしまったので一旦切って
次回「『新千載和歌集』の隠し扉(その3)」に続きます。



本題...*・゚(´・ω・:;.:... .本題:;.:....



結局今日も、8割直義で終わってしまいました。
あとの2割は、尊氏の気配が始まった感

次回、開かずの隠し扉の向こうから テッテレッテレー こんにちは…!!
…とふざけたいところですが
今回は真面目な話なので、真剣に行きたいと思います。



posted by 本サイト管理人 at 08:06| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)

2017年08月17日

『新千載和歌集』の隠し扉(その3)

おはようございます
「『新千載和歌集』の隠し扉(その2)」の続きです。


(※以下、歌の出典は…
 【「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観 第1巻 勅撰集編 歌集』
 (角川書店)1983】
 歌の意訳は私による適当です。)




それでは早速、前回の内容を踏まえつつ
『新千載和歌集』「雑歌 中」より
直義和歌と、それに続く4首をどうぞ。



貞和百首歌めされし時  左兵衛督直義
うきながら 人のためぞと 思はずは 何を世にふる なぐさめにせん

述懐歌の中に  左近中将義詮
とにかくに 世の人ごとの なげかれて 心のうちの やすきまぞなき

百首歌たてまつりし時、おなじ心を
世の中の 人のうれへの あるにこそ おろかなる身の 程はしらるれ

建武二年人人題をさぐりて千首歌つかうまつりける次によませ給うける
後醍醐院御製
身にかへて 思ふとだにも しらせばや 民の心の をさめがたさを

百首歌めされし次に  御製
猶ざりに 思ふゆゑかと 立ちかへり をさまらぬ世を 心にぞとふ



(※「左近中将義詮」は、2代目将軍足利義詮(よしあきら)(※尊氏の嫡男)
 「御製」は、北朝の当今である後光厳天皇(の詠歌)を指します。)
(※御製(ぎょせい)は元々、天皇(上皇など)の作った詩歌・文章を指す普通名詞。)



(訳)
直義
この憂いの多い世の中で、人の為だと思わなければ
何を生きていく慰めにしたらいいのか…
義詮(一首目)
世の人々の嘆かわしい諸々がとにかく思い悩まれて、心が休まる暇がない。
義詮(二首目)
世の中の人々の憂いや苦しみを思うにつけ、我が身の愚かさを思い知る。
後醍醐天皇
この命に代えてもいい、と思っている事だけでも知らせたいものだが
民の心というのは、治め難いものであることよ…
後光厳天皇
ふと立ち止まって、我が心に問い直す。
いつまでも世が治まらないのは
自分が心のどこかで、疎かに思ってしまっているせいだろうか…と。




…という訳で。
『新千載和歌集』の撰集時期と
『観応の擾乱』の、禁忌にも近い暗黒な真相を考えた時
この配列は―――
極めて深い意図を込めた、本命級の隠し扉と言えそうですが…


(※後光厳天皇は、光厳上皇の皇子で
 『観応の擾乱』勃発以前まで当今であった崇光天皇の、同母弟
 本来、天皇に即位するはずの無かった弥仁王(=後光厳天皇)ですが
 『観応の擾乱』の非常事態の中で廃位されてしまった崇光天皇のあとに
 幕府によって極めて異例な形で擁立され践祚した、北朝の天皇です。)

(↑かなり端折った説明ですみません。)

(※『観応の擾乱』における、直義の突然の失脚
 そして唐突な義詮の登場と
 人々の思惑を超えて、長引きながら悪化の一途をたどる擾乱
 その一連を背後で結ぶ、ある明確な理由
 おっとこんな時間にピンポン来たよ誰だろう級のタブー… )

(↑もっと言いたい事あるので、下の方でもう少し暴露します↓)




さて、まずこの「配列」から一番に読み取れるのは
 直義 → 義詮(2首)
 後醍醐天皇 → 後光厳天皇

この二組の和歌の並びの「対比」である事は、異論がないと思います。


これは単純に
和歌の内容の類似性と社会的地位で「相似」をなしている、という
「和歌の表面から読み取れる基本情報」から容易に想定されるものですが
(特に義詮の和歌は2首とも、直義のにめっちゃ似てる… )
ではなぜ、このような目を引く「対比」を演出したのか?
…そこに、この配列の真の意図がある訳ですが
それは―――
上で示唆した事情、いわば
 「歴史の経緯の中における、各人の立場
これを表明するためだった、…のだろうと考えられます。

…何のために?
これはまあ、尊氏のやる事ですから
一言で言えば「太平を祈るために」という事でしょう。
この配列はつまり―――
「過去に許しを請う」ためのものなのです。


(前者は、過去、その地位にあった人
 後者は、現在、その地位にある人
 そしてその歴史的変遷が、どちらも尋常ではない…。
 その歴史をどう捉えているか、過去に対する現在の立ち位置、責任…
 それらをこの配列が "強く" 示唆しているのではないかと。)




歌に☆*。.:*・゚☆(−人−。)☆゚・*。.:*☆祈る



ま、とりあえずは先に
「和歌のぱっと見情報」を整理しておきますと…

直義義詮の和歌の方は
「世の中の人々の憂い」が共通の主題となっています。
そして、幕政を担う将軍(or 実質将軍)という立場にある者として
「人々の苦しみ(の軽減)に、最も重きを置いていた」という
為政者としての心構えを、読む者に印象付ける和歌となっています。

直義和歌の方は、一見、憂いているのは直義本人ですが
 『風雅和歌集』の「しづかなる…」の和歌も考慮すれば
 直義の憂いの元は「人々の憂いが絶えない世」である
 (だから、その人々の為に政治をしよう、って言ってる)という事で
 やはりテーマは「人々の憂い」であると読めるかと思います。)



後醍醐天皇後光厳天皇の和歌(御製)の方は
「治め難い世へのもどかしさ」が共通の主題となっています。
そして天皇として「この世を我が身そのものほどに思っている」
(だからこそ、治まらぬ世に深く苦悩する)という
天子本来の姿を、感情豊かに表現した和歌となっています。

古来、この国では
天子は徳によって天下を治めるもの、つまり、徳ある天子こそが民を安んずることが出来き
逆に天下が乱れるのは、自身の修養が足りない為だという認識があり
(端的に言えば)天子「存在そのものが天下の安危に直結する」
という感覚が、社会的に共有されていた訳でして
そういった背景を考慮すると
この2首の御製は、より実感のこもった歌に感じられると思います。


さらに言うと、この2首の次には
「雑歌 中」の部立の最後の歌として…

題しらず  伏見院御製
世をすくふ 心のうちの なほざりに 民のうれへを なすぞかなしき

という、伏見院(※後光厳天皇の曽祖父)の御製が配されていて
天皇「世に対する在り方・思い」
重ねて印象付ける仕様となっています。




…以上
それぞれの和歌の共通点を整理してみましたが
「過去と現在で同じ立場(将軍 or 天皇)から同じ主題を詠った」この二組の和歌を
続けて配置する」ことで
そこに何かしらの強い主張を感じずにはいられない、特徴的な配列となっている訳です。

(※直義和歌〜伏見院御製までの一連の6首の和歌は
 「雑歌 中」の部立の最後尾に位置していて、猶さら目立って見えます。)


特に注目なのは、義詮に関して
同様の和歌2首も配するという「強調」が見られますが
これはつまり―――
この配列に込められた意図において「最も重要なのは義詮」
という意味であり
ここに配列の真意が凝集されていると言っても過言ではない… かと。



擾乱の☆*。.:*・゚☆(−人−。)☆゚・*。.:*☆帰結



…さて
ここまでは、和歌自体とその配列の表面的な基本情報、つまり
単なる事実ですので「ふーん、そうだね」で済む話ですが
この先は…
『観応の擾乱』の真相が絡む考察となる、というか
この配列の意図が、『観応の擾乱』の真相を補強するものとなる訳で
(↑『新千載和歌集』の撰集時期から考えて)
色々と問題がある話になって来る訳であります、はい。


そもそも、この二組の和歌はそれぞれ
「過去(の人)→ (の人)の順に並んでいる訳ですが
「過去に倣(なら)う」あるいは「過去を踏襲する」かのように
「過去」同じ心を詠った「今」を追随させる配列がもう
非常に気になって仕方ない訳です。

だって、この擾乱の経緯を考えれば
直義を崇敬するかの如く、類似した義詮の和歌が後に続いてるって…
え?? え??
って感じですよね。
(※『観応の擾乱』において義詮
 なぜか直義を一方的に敵視し、ものすごく嫌っていた… )


つまり…
尊氏&二条為定による今回の隠し扉は、たぶんきっととても重い―――





という訳で、長くなってしまったのと
この先は、推測交じりの実験的な考察になるだろうと予想されるので
また記事を分ける事にしまして
次回「『新千載和歌集』の隠し扉(その4)」に続きます。

情報としては今回で終わりでもいいかと思うのですが
 まあ折角なので、もう少し感想文を続けてみたいと思います。)





あ、上で「もう少し暴露する」とか言っといて忘れてました。
まあつまり『観応の擾乱』というのは―――

 義詮なんですよ!! 義詮!!

と言っても、全責任義詮にあるとまでは言わないし
そういう意味でもありませんが
「主眼を義詮に置いて、経緯を追うべき事件」である事は確かです。
では、続きは次回!



posted by 本サイト管理人 at 08:07| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)

2017年08月31日

夏の室町会議が開催されると勘違いして鎌倉に行ってきました(その1)

おはようございます
先々週、いつもの一人室町ツアーをしに鎌倉に行って来たんですが
今回は、いつにも増して朝早く出発して歩き回り
初めての場所にもいくつか訪れたので
今日はちょっとその報告でもと。


という訳で早速、鎌倉に到着… なんと朝8時ちょい過ぎ!
早い! 早過ぎて前につんのめりそう!!

さて、まず最初に駅の南に進みます。
実は今回は、一つ目の目的地が、初訪問最大メインだったりします。
好きなもの最後にとっとく派の私としては、非常に斬新なプランニングです。

いつもは鎌倉に着いたらまず真っ先に
駅の北の『鶴岡八幡宮』を目指すのですが
今日は駅の南の…
元鶴岡八幡宮『由比若宮』(ゆいのわかみや)にやって来ました!!


鎌倉、元鶴岡八幡宮『由比若宮』


ここに… ここに一度訪れたいと、ずーーっと思っていたのですよ!
なぜならここは
私の大好きたろちゃんこと、源八幡太郎義家に始まった神社だから!!

以前『Muromachi通り』「源八幡太郎義家」(2014.8.16)の冒頭の
「武家源氏の "八幡様クロニクル" 」でちょっと触れましたが
鎌倉の『由比若宮』
康平6年(1063)、奥州平定を成し遂げた源頼義・義家父子がその帰途で
源氏の氏神「八幡大菩薩」へ勝利の感謝を込めて
京都の『石清水八幡宮』を勧請して建立した、平安時代の神社です。
この八幡社が約120年後
鎌倉時代の幕開けと共に
源頼朝によって、規模を新たに『鶴岡八幡宮』として生まれ変わる訳ですが
それゆえ『由比若宮』「元八幡」とも呼ばれています。


訪れてみると、とってもこぢんまりとした神社で
(↑創建当初は、また規模も違ったのでしょうが… )
盛大荘厳な現在の『鶴岡八幡宮』とは、まるで印象が異なりますが
それでも、ここが鎌倉八幡様の始まりの場所なんだ…
と思って時の流れを仰ぎ見ると
果てしないほど大きな存在を感じます。

境内の片隅の、現在は切り株だけになってしまっている松の木に
 「源義家公 旗立の松」
という小さな看板が添えられていました。
たろちゃんが、たろちゃんが源氏の白旗掲げた松… (´;ω;`)

あふれる感慨が時空を超えてゆきます。


以前話しましたが
うちの近所にも、源義家がちょっと立ち寄った〜的な神社があって
(↑ちょっと立ち寄っただけでも、千年近く言い継がれるたろちゃん
 マジ最強☆)

で、最近は毎朝のように、そのたろちゃん神社に立ち寄っては
たろちゃんに語りかけている私ですが
(↑別に菩提寺でもお墓でもないのに、たろちゃんがいると思ってる私
 マジとんだ勘違いしてる☆)

この日の朝も
「たろちゃん、今日は『由比若宮』に行くよ。一緒に行こうよ」
と言って、たろちゃんを誘ってやって来たのでした。

たろちゃん…
始まりはいつだって、小さな一歩なんだね―――



という訳で、朝一でメインを堪能し尽くして
再び駅の方へと戻ります。

まだまだ朝9時前という、おはよう感にあふれた時間帯ですが
この後の、ノンストップ無休憩探索に備えるべく
一休み&ブランチをすることにしました。

訪れたのは…
駅のちょっと西にあるスターバックス「鎌倉御成町店」!!
先日のどうでもいい記事「Ashikaga チョコレート Shogunate」で自分で適当なこと言ったからには責任もって行かないと…じゃなくて
ここすごいんですよ、お店の作りが。
全国にいくつかある、スタバのコンセプトストアというのの一つなんですが
漫画「フクちゃん」の作者の邸宅跡地に建てられた平屋の店舗で
テラスプールまである、ってゆう!


スターバックス「鎌倉御成町店」
(↑これは、店内からガラス越しに撮った写真)



さてさて、今日はここで夏の室町会議が開かれると聞いてやって来たんですが…
あ、あれ? 誰もいない…
( ^ω^)おっ?おっ? 時間まちがえたかお??
と、店内を見渡して挙動不審に―――
…なったりはしてませんが(うそです、少しキョロりました)
まあでも
残念ながら室町好きっぽい人も南北朝っぽい人も会議っぽいものも見当たりませんでしたので
一人、脳内室町会議に浸るため
ソファー席を確保して…


スタバでブランチ


私、8月は誕生日月なので
ここでケーキを食べようと、何日も前からワクワクしておりました。
(※このお店は、普通のスタバにはないケーキがある。)

写真左が「オレンジのシブースト」です。
誕生日モードなので、好きなだけ何でも頼んじゃえと
サンドイッチももりもりにして…
(゚д゚)ウマー

ああ、流石にお腹いっぱい。
このままソファーに沈み込んでまったりうとうと…
してる場合ではありません!
まだまだこれからは長い!!

という訳で
居心地の良さに後ろ髪を引かれながらお店を後にします。

ご馳走様でした!

鎌倉御成町のスタバ
( ^ω^)おっ?おっ? 日付まちがえたかお??




さて、再び駅から仕切り直して、本日のセカンドスタートです。
まずはいつものコースで『鶴岡八幡宮』へ。

境内に入ってすぐの左右に広がる「源平池」
この時期、が元気にもっさもさしております。


これは右手の「源氏池」

鶴岡八幡宮「源氏池」


こちらは左手の「平家池」

鶴岡八幡宮「平家池」



北条政子源頼朝の必勝を祈願して造らせたと伝わる「源平池」
「源氏池」に浮かぶ三つの島は、繁栄の "産" を意味し
「平家池」四つの島は "死" を意味する…
と言われる、歴史を刻んだ池ですが―――

(いわゆる)"源平合戦" の末に訪れた源氏の時代である「鎌倉時代」
源氏平家、あるいは
三代で幻となる源氏将軍と、平氏である執権北条一族
両者の間の因縁が安からぬものであるのは
たどらねばならなかった必然の歴史だったと思いますが
しかしそれゆえ
その先に訪れた「室町」という新しい時代には
源平の関係にもまた、新しい展開が待っていたのではないか―――
いや、はっきりと言えば


源平の新しい関係を迎えるために、鎌倉が終わり室町が始まったのです。


「…のです。」っておまえ… (´・ω・`)
いきなり何ドヤっと言い切ってんだよ?あほなの?とか思われそうですが
実はこれ、かなりあなどれない論点なのですよ。
というか、他のあらゆるすべてに最優先される最重要事項だったとすらいえるのですよ

尊氏さん的には。


鎌倉幕府への反旗とか、建武政権との決裂とか
将軍家として歩み始めた足利家の新時代
初期幕府に訪れた最大の危機『観応の擾乱』……

これらの歴史的大転換もすべては、"源平" と切り離せないところにあった

尊氏さん的には。


歴史って、「時の偶然」「人の恣意」の積み重ねのように思われていて
それゆえ、事象として軽視されがちな所がありますが
否、実際は
歴史って、その根底に流れる因果「普遍」(宇宙法則、物理法則)に繋がっています。
そんな見方する人は確かに多くはないかも知れませんが
しかし、少なくとも
足利尊氏という人には、そういう世界が見えていたようです。


生み出された結果である世界の「現実」と、世界を生み出す原因である「根源」
二通りの見方をしていた、という事です。
といっても、この二つはあくまで「一つの世界の別の側面であって
例えるなら「一つの世界を別の言語で表現したもの」に過ぎません。

「建武の出家騒動」(←浄光明寺の)とか
将軍になってからの政務放棄的意味不明スタンスとか
特に『観応の擾乱』での数々の奇怪な動きとか……

「考え無し」とか「軽く見積もって病気」とか言われる尊氏の
発言、行動、発想の謎を解明し、論理的に理解するには
尊氏が見ていたこの二通りの世界を、それぞれに叙述する必要があります。

(逆に言えば、そうする事で
 尊氏が極めて理に適った人間で、かつ頭脳明晰である事が証明される!!)



例えば…
尊氏が、先読み・先回りを得意としていたのは
世界を生み出す原因である「根源」を見る能力があったから、なのです。
(普通の人は、結果である「現実」を見て動く。)

以前、本サイト『2-9』「天を読む者」で紹介した
『六韜』(りくとう)の言葉をここで再び…

 聖人は天地の動きに徴す、たれか其の紀を知らん

(聖人は、天地の動き(根源)を把握しそれに順応する
 (聖人の他は)誰もその条理を知らない。)


でも、人には見えない世界が見えてしまうと
その言動を誰も理解してくれない…ってゆう。
(でも、少なくとも尊氏は、当時から人に愛されていたよね。)




あ、ああ…また話がおかしな国に迷い込んで来た。。
こういう話をするから友達が出来ないのは分かっているのですが
でも、こういう話したい…
こういう話したいけど、友達が欲しい… (´;ω;`)





ええと、話が逸れましたが
いま仮に、"源平の関係" から鎌倉室町を見るならば…

平安までの
政治の基準が権威縁故社会階級であった貴族の時代からの進化を求めて
「鎌倉」という、全く新しい武士の時代…すなわち
この国で道理に立脚した武家政治を実現するための時代」を切り拓くため
(その理不尽な代償として)敵対し傷つけ合う事を宿命として歴史を築いた両者は
次の段階では
天下に真の泰平を根付かせるため
その因縁に安らかな結末(※)を与える事を求められた

そのために訪れたのが、「鎌倉」の終焉であり「室町」の始まりだったと。

(※…なぜなら、宿怨という強大なエネルギーは
 現状を打破し、時代を動かす原動力となる…と同時に
 常に泰平を破ろうと作用する破壊力にもなるから。)


もちろん、彼らは(少なくとも大半は)
このような時代の流れの意味を、知らずに生きていた訳ですが。


「源氏」「平氏」という二つの存在は
どちらかが勝者となり、どちらかが滅亡するという
淘汰決着の為に生まれたのではなく
相対である事に意味がある…というか
「源平」とは
相対である為に生まれて来た「陰陽」のような関係にある
のだと思います。


二つの「融和」「均衡」、互いの「肯定」「尊重」「補完」
負の因縁の昇華により、天下泰平を目指すことが
足利家の家督尊氏に課せられた使命だった―――


…という秘密を推測させてやまない史料的事実が、よく見るとちらほらわんさかしていて
( ^ω^)おっ??おっ??? …ってなってる。


平氏である日向秀政(→改名して足利秀政)を「御父」と呼び
その娘「さぬ」と婚姻したのも
この尊氏が背負う宿命がさせた行動の一つだと、私は考えているのですが…
 (; −`д−´) むむむ。
あと、『観応の擾乱』での行動にも顕著に影響してるっぽくてぬぬぬ。

(※足利さぬについては
 「足利さぬ …のこと(その1)」(2017.6.17)と
 続きの関連記事をどうぞ。)





あーさて、いよいよ話逸れ過ぎですので
重要な話ですが、不本意ながら今回はこの辺にしておきます。

何が言いたかったのかと今さらながら言いますと
尊氏さんが秘めていた(…かも知れない)想いに敬意を払い
その祈りが届くよう、私からもささやかな助力がしたくて
「源氏池」「平家池」
二つの池に行って、二つの写真を撮って、等しく並べてみようと思った訳です
二つで一つの "互いの蓮" として
室町より愛を込めて―――




さてさて、話と旅を先に進めます。

「源氏池」の方には、池の中央に『旗上弁財天社』が鎮座ましましておりまして
ここにいつも群れを成している白鳩たちが好きで
最近は、鎌倉に来るたびに立ち寄っています。

大抵は木の上にいる事が多いか、池のほとりを思い思いに歩いていたりするのですが
この日はなぜか…


『旗上弁財天社』の白鳩たち


うずくまってプルプルしてた。

近付いて写真撮ってても、一向にテンション低いままで
なぜかいつもより毛並みが悪く
イライラしたり、真顔でつっつき合ったりしているものもいたりで
軽く見積もって世紀末なただならぬ空気に
慰めの言葉ひとつ、掛けることが出来ませんでした。

何やってるんだろう…と思いつつ
もんもんとしながら『旗上弁財天社』を立ち去ろうとしたその時―――
背後で一斉に飛び立った!!

振り返った鳥居の向こうには、高い木の枝に元気に止まる白鳩たちが…
え、マジなんだったの??

ここの白鳩たちは、朝10時まではプルプルしてる
とかいう習性があるのだろうか…?




さて、不思議な鳩たちにすっかり翻弄され尽くし終わった私は
いそいそと「本宮」へ。

日曜日ですが、まだ10時を回ったくらいなので混雑も無く
楽々スムーズ参拝です。

南無八幡大菩薩!!!


『鶴岡八幡宮』


いつ見ても安定の鶴岡、そびえ立つ八幡宮!!


この後、『白旗神社』歴代源氏を偲び
境内東の鳥居から外に出て
次の目的地、これまた初訪問の源頼朝の廟所『法華堂跡』へ向かいます。

てくてく…

…と話を続けたいところですが
長くなってしまったので次回
「夏の室町会議が開催されると勘違いして鎌倉に行ってきました(その2)」
に続けることにします。


それでは最後に
元鶴岡八幡宮『由比若宮』初参拝記念!!…という事で
源八幡太郎義家の、時を越えて「ただいま八幡様」の図です。


『由比若宮』源義家


平安だろうと、平成だろうと、いつの時代でもお構いなしに
義家がいればそこに、その瞬間から、果てない未来が拓けて始まる
…そんなイメージです、源氏の英雄八幡太郎義家は。



posted by 本サイト管理人 at 08:57| Comment(0) | 観応日記(尊氏、直義)