2016年12月01日

冥界の君へ

こんばんは、ところで昨日の記事「Dear 三条」で私は
「何の根拠もないけど、(現在に)直義の名残を残そうとしているのは
 直義本人ではなく尊氏なんじゃないかなぁ〜と思ってる、わりとマジで」
とか、頭おかしそうな事言いましたが
まあ、冥界で尊氏が何企んでいるかなんて誰も知る由はないにしても
一応、当時の史料的には
こんな妄想もさもありなん認定したくなる痕跡の欠片が散らばっているのです
尊氏という、何層にも謎を秘めた将軍の言動の中には。
(つまり、わりと根拠あるのです。)

一つだけでは誰も見向きもしないでしょう。
でも、もう一つ、また一つと拾い集め、そして繋ぎ合わせていけば
いつしか一筋の光を放つ鏡が語る "真実" に出会う事になります。
尊氏の心を映し出すその鏡は
『観応の擾乱』で、自らの命よりも愛しい弟を失ったその将軍の
残酷なまでに傷ついた胸の奥のすべてを、静かに語り出すのです。


『観応の擾乱』での尊氏の真意
直義亡き後もなお
尊氏は直義の政道を、直義の理想を、直義が13年かけて形にした世界を、そして直義自身を
追いかけ続けていた事
『観応の擾乱』の原因とされている、政道における二人の見解の相違など、実際は存在しない事
誤解されているすべて
気付かれぬまま闇に眠るすべてを
尊氏がそれを望むなら、私はどこまでも語るつもりだったのに
どうして時間を与えてくれない!
未練があるから、直義の痕跡をそうやって現在に示すのだろう?
なぜ今になって恐れる? 過去が開かれる事を―――


…と、冥界尊氏の及び腰にエスパーダメ出し。
すみません、今日は独り言です。



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2016年12月02日

頭の外と、夢の中

こんばんは、うーーん今日はなんだかネタのインスピレーションが沸かないので
早よ寝て、夢でも見たいと思います。

ところで、夢ってなんなんでしょうね?
…いや、そんな事考え出すとまた眠れなくなるからほどほどにしたいのですが
所詮、自分の脳が(情報整理の過程で)単独で作り出している仮想でしかないのなら
余計な心配せずに安眠出来るというものですが
以前『Muromachi通り』「夢想クリスマス」(2014.12.23)の後半でも語った通り
中世以前の夢、もしくは "夢想" の事例を見ていると
どう考えても脳外の要因から干渉を受けているとしか思えな…
(だめだ、そんな事考え出すと好奇心がワクワクで眠れなくなる、やめろ、やめるんだ… )


でも、もし本当にそんな夢が存在するのなら
どういう原理で起こるのだろう?
脳は潜在的に、自分以外の "何か" にリンク出来る機能を有しているのだろうか…


…と、また答えの無い問いにばかり走ってしまう性癖、何とかしたい。
誰も答えを知らないという事は、その問いに突き当たってしまったらもう
天を仰いで絶望するしかないのだ。
それとも―――
その先に進む勇気を示せば、希望は待ってくれているのだろうか…



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2016年12月03日

過去

こんばんは、一昨日「冥界の君へ」
尊氏に「過去の暴露大会始めるから、いい加減腹くくってね(ハート」とか言い放っときながら
自分の秘密主義を鉄壁のままにしておく私、マジ☆ダブルスタンダード☆☆
…もいいとこなので、少しだけ、自分の事も語ってみようかと思い立ちました。

まあ、そんな話面白くも何ともないですし
歴史解説を銘打ったサイトで自分語りするのは、かなり間違っているのは分かっているのですが
(だから今まで極力避けて来た)
ただ…
ただなんとなく、そうすれば尊氏さんもその気になってくれるかなぁ… と思ってしまったので
誰も聞いていないけど、冥界に向かって聞こえよがしに叫ぶ独り語り
…という設定で、見て見ぬ振りをして頂こうと思います。


ちなみに、私は自分語りがとても苦手です。
なんせ、自己愛がめちゃめちゃ欠乏した人間なので。
たぶん、脳に絶望野(ぜつぼうや)を持っている人なら
みんなそんな感じだと思うのですが(…え、そうだよね?私だけ??)
せめて人並みの半分でも自己愛があれば、もっと楽に生きられたのに…
…との文句を、毎日ひしひしと噛み締めております。

(※絶望野…絶望系人間の脳内に存在するという、絶望を司る脳内特殊領域。
 視覚野とか言語野の仲間。普通の人にはない。第一発見者、私。)


そんな私が、羞恥心を返上して話すんだ
尊氏よ、覚悟を決めたまえ!!


まあ、尊氏の秘密というのは
実は、尊氏個人の話に留まるものではなく "一族" に及ぶ話なので
私の(身バレしない程度に誤魔化した)個人話とは比べものにならないのですが。

私は以前から「尊氏は、足利高経にだけは秘密を打ち明けていた」と言っていますが
その理由として考えられるのは「足利高経が尊氏と並ぶほどの高貴な家系で
しかも同い年である二人は、幼少期から強い信頼関係を築いていたから」
…というだけではなく
もともと尊氏だけではなく「高経本人も当事者として関係してくる話だったから」です。

そんな話を暴露していいのか…
と思わなくもありませんが、まあ、650年以上前ともなると、もう立派過ぎる「歴史」ですし
源氏の秘密は、この国の根幹と言えますからね。
日本という国の理解のためにも、そろそろベールを脱ぐべき時なのでしょう。



では、ようやく本題に。
前置きが長いわりに大した話ではないのですが(というか、薄々気付かれていると思いますが)
実を言うと私、歴史学については全くの門外漢です。まるで畑違い。

そりゃまあ、あんだけ直義好きを公言しながら「最近までほとんど知らなかった」とか
歴史学科出てたら有り得ない話ですよね。
それどころか、中高で歴史の授業真面目に聞いていれば、記憶にくらい残っているだろうに
私、全教科(科目)の中で歴史が最も苦手で
センター試験でも、社会は公民で乗り切った(逃げ切った)くちで
とにかく、高校以前の歴史授業の記憶が全く無い…
覚えているのは、高3で選択科目が始まって歴史授業との縁が切れた時の
天から降り注ぐような解放感くらい…

全く以て恥ずかしい以外の何ものでもない話ですが
そんな訳で、私は歴史学の基礎がまるで有りません。
自分の事を極力隠していたのは、これがバレるのが恥ずかしかったからでもあるのですが
それじゃあ、昔は何が好きだったのかと言うと… 理科が好きでした。
当たり前にその道に進んで、大学院から、普通にそっち系の分野に就職するのだと
そう思って生きていました。

(自分で言うのもなんですが)成績も問題なく良かったし、実験も大好きだったし
趣味のごとく研究室に通う、とってもおりこうな学生でした。
(↑ただし、ちょっとぬるい研究室ではあったが。
 それなのにサボる事を覚えずアホみたいに入り浸る私、マジ謎のマゾ学生。)


それなのに… ある日を境に、突然道が逸れたのです。
それは、自分の意志で動いた結果ではありますが
自分の意志を動かしていたものは、自分の意志ではなかったのでしょう。
今振り返れば、その先に待つ歴史の道に出会うための脱出だったのだろうけど
少なくともその時の私は、何も… 何一つ未来を知らずに
普通に考えたら有り得ない(今考えても信じられない)行動をとったのです。
大学院に進んだ頃の事でした。




…と、まあ今日のところはこの辺で。
ちなみに、私はよく物理学の話をしていますが、物理学科ではありません。
宇宙の話は、みんなが同じに夢を見られる共通言語です。



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2016年12月04日

離脱

こんばんは、さて昨日の続きです。
大学院の途中で道が逸れた、ってとこまで話したんですよね。

ちなみに、私の名誉のために言っておきますが
別に、勉強についていけなかったから…とかいう訳では全くありません。
もともとゆるい研究室で、やろうと思えば好きなだけやれるし(←実験を、って事です)
サボろうと思えばギリギリまでサボれる(ただし自己責任で)
という様な所だったので(まあ怒られはするけど)
"ついていけない" って事態が発生する事自体がなかったし
そもそも私は、前者の「アホみたいに好きなだけやってた」側の人間ですので
成績も加味した優等生度なら、(同研究室内の)同学年では余裕でトップ集団でした。
(な、なんて恥ずかしい事を言い切りよるか… でも本当です。)

これまた自分で言うのもなんですが、本来ならそのまま問題なく月日が流れ
(研究室の実績からすれば)良いところに就職して
このサバイバル時代にあって、おいしい勝ち組を人生を送っていたと思います。
それなのに―――


まあ、やめた理由は、具体的には色々あった訳ですが
当時を思い出して今言えるただ一点の、最大級の不可思議は
あれだけ学校が(そして科学が)好きだった私が、学校を辞めるなんて
自分でも、そして周りも思いもしない結末だっただろう、という事です。
ゆるい研究室なんだから、好きなだけ休んだって、しばらく休学したってよかったのに
でもその時の私の心には…

 「私は、ここを出て行かなければならない」

という強い意志が、決して抵抗を許さない強過ぎる決意が、沸いてしまったのです。
根拠があったとは思えない、でも、自分の意志に少しの疑問も抱きませんでした。


今思えば、そう心に決めてからの私はとても前向きでした。
どう考えても、待っているのは過酷ないばらの道なのに。
そしてその時点では、自分が進むべき "本当の道" が別のところにあるなんて
わずかな予感の欠片すら、持っていなかったのに。

なぜ、あの時あんなに強い決意が沸いてしまったのか
その本当の意味を知ったのは、それからずっと先の未来、今から2年前の事でした。




…という訳で、今日のところはこの辺で。

ちなみに、私の不名誉のために言っておきますが
私は実験が好きなあまり、机上の勉強はちょっと疎かにしてしまっていたところがあります。
(だから昔の事、なんも覚えてない。)
優等生ではあっても、勤勉ではなかったなぁ… と、もうとっくに時効の過去に反省。

私の脳はどうも、答えが用意されている勉強が非常に苦手のようで
まだ明かされていない、未知の世界に夢を追っいてる時にだけ
すごい元気が出るらしい…



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2016年12月05日

挫折

こんばんは、さて昨日の続き、その後の私は… という事ですが
これは、これは…
もう、つら過ぎて思い出したくない (´;ω;`)
なので、中略。としたいとこですが、まあ簡単に話しますと
普通に考えたら、各種試験を受けたり資格を取って専門的な道へ… となるでしょう
私も普通にその道を考えていました。
大学に守られずとも、自らの足で道を歩いて行けるのだと、そう思っていました。
でもね… どれも悉く上手く行かないのですよ
思うように勉強にのめり込めないのです。
当時は、努力が出来ない自分の未熟さに愕然としました。


まあ、資格試験の勉強というのは「答えが用意されている勉強」の最たるものですから
私の脳が強烈に拒絶&急速に興味を失って言う事聞いてくれなくなるのは、当然と言えば当然で
自分の適性を見誤った私がバカだったのですが
(↑ただしこの頃はまだ、自分の脳の特性を把握していなかった)
しかしそれだけではなく
今になって振り返れば
そういう "普通に思い付く" "普通の道" が上手く行かなかったのは当然だったのです。
どういう事かと言うと…
私の(私だけの)進むべき道以外は
何をしようと頑張っても遮断されるようになっていたのです。
(↑この理由は、後々明らかになります。)

でも、当時の私はそんな事知る由もありませんから
色々試しては失敗し
考え方を変え、視野を広げてまた立ち上がって "普通" と "常識" を目指しては挫折して
そんな事を何度も繰り返し、そして―――
どん底に落ちていきました。


もしも当時の私に一言だけアドバイスが出来るなら
なんで歴史の道が見えないのだと、思い切り叫んでやりたいところですが
それまでの私には、「歴史」なんて発想はこれっぽっちも浮かぶ余地がなく
まさにその対極を行く人生でしたから
そう簡単には、気付く事が出来なかったのです。


私が、これまでの私には発想すら不可能だった "歴史の道" に辿り着く事が出来たのは
あらゆる可能性に見放されて
完全に閉ざされた闇の中で遂に明日を諦めすべての荷物を捨て去った
そのあとの事です。

長い、長い時間が、既に過ぎ去っていました。




…という訳で、今日のところはこの辺で。

それにしても、運命のハードモードなこと… やり方が厳し過ぎるよね (´・ω・`)
進むべき道は「こっちだよ」って教えてくれるんじゃなくて
私が間違った方に進んだ後で
「そっちじゃない」「あっちでもない」って道を塞いで来るのですよ
しかも、奈落に突き落とすような残酷な方法で。
学校辞める事になったっていうファーストステージだけでも、すっごいつらい思いしたんだから
もう少し優しいマイルドモードに御案内してくれてもいいのに…
(お陰ですっかり、苦行モードに安心感を覚えるマゾ属人間になってしまったってゆう。)


初めから知ってたら、こんなに苦しみだけを積み重ねる日々を生きる事もなく
そこそこ楽で幸せで、常識を外れない人生を歩んでいられたのかな。
でも… 苦しんだ末に知ったもの、見えるようになったものは
いばらの道の途中にしか、落ちていないアイテムだった…


私の人生は、人の目には惨めなものに映るでしょう。
それでも、子供の頃から科学に親和性があった事、大学まではその道に進んだ事は
間違っていたとは思わないし後悔もしていません。
なぜなら、私の持って生まれたものの見方、大学までに培ったものの考え方は
その後に出会った歴史研究において、人生で最も有効活用される事になったので。
(大学時代にフル活用していなかったのかお前は… はい。)


『応仁の乱』『明応の政変』のあれこれはもとより
(以前の私は知る由もない)最大目標、「尊氏の秘密」を解明するには
私のこの "畑違い" な思考回路が、なくてはならない武器となりました。
(言い換えれば、歴史学の基礎も知識もまるで持たない私の、唯一の武器がこれでした。)


これは、後になって思う事ですが
私が当然のように科学の道に進んだ事も、そこを途中で脱した事も
初めから予定されていた必要な過程だったようです。

 すべては歴史のために

それが私の定められた運命なのだとしたら
どんな絶望に目の前が閉ざされようと
その先に出会うべきものは、必ずや用意されている。

そして私は知るのです、長い旅の果てに―――



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2016年12月06日

鎌倉写真で一休み

こんばんは、さて昨日の続きを…と思ったのですが
今日はちょっと眠いので
先日行った鎌倉遠足の写真で一日お待ち下さい。明日は頑張ります。

行ったのは半月ほど前なので、今は紅葉の状態もだいぶ違うかな?
天気はいまいちでしたが、「尊氏&高経と一緒にゆく、直義運UPを目指す旅 in 鎌倉」
…という設定で、道中、妄想を繰り広げていたので 虚しかった 楽しかったです。


まずは「浄光明寺」。 直義の念持仏、矢拾地蔵様をなむなむ…

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お次は「報国寺」の秋。

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「浄妙寺」では、紅葉(もみじ)の秋が迎えてくれました。

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色づき始めた銀杏も待ってる。

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空を埋め尽くす。

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おしまい。

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この他、「鶴岡八幡宮」「杉本寺」でも "なむなむ行脚" して来ました。
これで見違えるほど直義運UP!! …したかどうかは
半月たった今も不明である。



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2016年12月07日

こんばんは、それでは一昨日の続きです。

すべての荷物を捨て去って、過去も、未来も、私の前から姿を消しました。
もう何も持っていないのに、それゆえ、何の可能性も残っていないのに
"今" だけが終わらずに、意味無く繰り返されているだけでした。

だけど…
私自身は、それが終わってくれる事だけを望んでいた…少なくともそう認識していたけれど
人は、意識ではない別の所で、それでも何かを探し求めてしまうのかも知れません。
地位や肩書、特技や技能、仲間や社会
専門技術も、人に勝る経歴も無く、どこにも守られず、どこにも所属しない
ただ体一つになった私に残っていたものは――― 血、これだけでした。
本当に何もなくなって初めて
私は、生まれてから一度も意識した事がなかった、しかしずっとそこに流れていた自分の血に
気が付いたのです。


ただ… それまで失敗だけを繰り返し、どこに進もうと道を閉ざされて来た私には
もう期待や希望に胸を高鳴らせるような "生きた心" は残っていませんでした。
初めはただ何となく、目の前に一本だけ残った糸を虚(うつ)ろに気にし始めただけ
しかしやがて、それが未来へ繋がる「たった一本の正解」であった事を知るのです。



……………………

ところで、自分のルーツ、先祖というと
普通は父方の男系を考えると思います。
古来「男系で家を継ぐ」という歴史が続いて来た訳で
文化的・慣習的にはこれは妥当だと思います。
…ただどうも
生物としては、あるいは宿命的には
別の系統を色濃く受け継いでいる場合があるのではないか?…というのが私の実感で
少なくとも直近の4系統、「父方の父方」「父方の母方」「母方の父方」「母方の母方」は
一通り当たってみる必要があると思います。
どの血が一番濃いか?という "割合" は、親兄弟の間でもかなり差があるようです。

私の場合は、最も濃く血を継いでいたのが「父方の母方」で
(↑これは、家族の中で私だけが「この血を100%独占して継承してた」
 ってくらいの濃さです)
それから、「母方の母方」も特別な縁を感じました。
(↑私がたまに話すおばあちゃんの家系で
 『Muromachi通り』「源八幡太郎義家」(2014.8.16)の最後で話した
 戦死した海軍航空隊の大叔父は、このおばあちゃんのお兄さんです。)

(ちなみに、「父方の父方」については
 父方の祖父母は、子供が出来て数年で離婚していて、母子家庭だったので
 私が生まれる遥か前に完全に縁が切れている、最も薄い系統だったりします。)

自分がどこに一番縁があるのか?を知るには
まずは、なんとなく気にかかる…という直感に聞いてみる
そして、実際に辿ってみるのがお勧めです。
縁が弱ければ、辿ろうと思っても途切れてしまうし
縁が強ければ、どんどん繋がって行って
「まさか…」と思うくらい深くまで知る事になるでしょう。

……………………



という訳で、私に残された糸というのは「父方の母方」の家系です。
先祖の痕跡が残る地、彼らがかつて住んでいた場所、行き交った大地
何か明確な目的があった訳ではないけれど
ただ、「行ってみよう…」そういう気持ちが浮かんだので
少しの勇気を出して旅を始めたのです。

それは、あらゆる自信を失っていた当時の私にとっては、とても大きな勇気でした。
「どうせ行ったって何もない…」そう言って引き留める私の意思よりも強い何かが
私の体を動かしたのです。





…という訳で、今日のところはこの辺で。

ちなみに、私の「父方の母方」の家系は武家ですが
本家が滅びる前(80年くらい前)に分かれて、別の地に移り住んだ庶流ですので
(↑室町時代の話、だから私の家系は江戸時代を通じて生き延びた)
特別歴史の重い家という訳ではなく
それで、それまで全然気にした事がなかったのです。
(歴史に疎かった私は、名前を聞いてもなんとも思わなかった。
 ちなみに、母方の父母もどちらも武家ですが、こちらは更にマイナーで細々とした感じ。)


それから、ちょっとややこしい話ですが
父方は、ごく幼少期から母子家庭だったのですが
私の祖母は離婚して復姓した一方で(←これが上記の武家の家系です)
息子には父方の名字を名乗らせ続けたので
私も生まれた時から「父方の父方」の名字でした。
それもあって、この武家の家系を意識しないで生きていた訳ですが
旅を終え、本気で歴史の探求を始めて少し経った頃
「自分はこの家系の血を名乗る資格がある」という自信がついた時に
私は実の祖母(※現在は故人)と養子縁組して名前を変えました。
(だから、家族の中でこの名を名乗っているのは私だけ。)
2011年の夏の事です。


あんまり話すと身バレが… と心配になるところですが
そんな訳で、昔の知人で今の私を知る人はいないので大丈夫です。
過去を捨てた私に恐いものなどない!!
ふははははっっっっっ!!!!


…なんという清々しい開き直り (´・ω・`)
尊氏よ、聞こえているなら君も私以上の開き直りを見せてみたまえ!!!
尊氏の決心がないと、この国の歴史も私の明日も開かれないのだよ!!!!



…とは言え、一応この武家の家名は伏せておきますので
引き続き匿名という事で、よろしくお願い致します。

(当然ですが、足利さんとかいう訳ではありません。足利さん、本家続いているし。)



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2016年12月08日

記憶

こんばんは、では昨日の続きです。
「父方の母方」の先祖を辿る旅に出ることになった私ですが
最初に、いくつかの点を再確認しておきたいと思います。

まず、この時点ではまだ、私の頭には「歴史の研究をしよう」という発想は浮かんでいません。
目的もなく、未来に対する期待もなく、始まりはただ
記録や伝承の中で、先祖の面影がわずかでも残る場所を
時間を遡るように辿っていただけの「当てのない旅」でした。

"歴史の道" との出会いは、繰り返した旅の最後に用意されていた「答え」であり
それが今の研究の出発点となりました。


それから、この「父方の母方」の家系は
武家と言っても、宗家からだいぶ前に分かれた庶流であり
江戸時代は北関東の某藩の藩士でしたが
江戸が終わり、しばらく経って曽祖父の代に東京方面に移ったので
先祖代々のお墓は江戸期の土地にあるものの、今や当時の屋敷も土地も痕跡すら無く
(↑残っているのは、戸籍に記された記録上の住所だけ… )
一応、本家(※私の父方祖母の弟の家系)には、鎧や刀が伝わっているようですが
それ以外は何も… 武家らしさも、独自に伝わる古文書も何もない
本当に「何と言う事も無い家系」です。

だから、私には自慢できるものは何もありません。
ただ、「血」と「名」だけ。
人から見たら何の価値も無いそれだけが、先祖が私に残してくれた遺産です。
しかし私にとってそれは、どんな家宝や伝統よりも、偉大な遺産でした。
なぜなら…
「何も残っていない」という事は、「誰も何も知らない」という事であり
私は、「未知」を一人で探求する自由を与えられたからです。

…と言ってももちろん、知名度は低いとは言え
室町以前まで戻れば、時代ごとに個別には、公(おおやけ)の研究がなされていて
私もそれを参考にしつつ旅をした訳ですが
その各時代を繋げて一本の道と成した時、そこには
未知の景色を秘めた私だけの物語が生まれ
私はそこで、独り先祖と向き合い、過去からのメッセージに耳を澄ます事が出来たのです。

ただし、旅を続けていた頃の私はまだ「父方の父方」の名字を名乗っていたので
当時はそれこそ、目に見えない「血」という手掛かりだけが
私を導く唯一の "明かり" となりました。


それから最後に、すべての過去を捨てたというのは、ネタにしても大袈裟な表現…
と思われるかも知れませんが
私は、自分でも意味不明なのですが、どうしても極端な事をしてしまう性格でして
人に頼る事、助けを求める事が出来ず、失敗すれば全部自分の責任として抱え込み
自己愛欠乏性なので、自分に不必要に厳しく当たっては
自らを窮地に追い込んでしまうのです。(ほんと何なのこの苦行親和性… )

最近は、もう少し自分に優しくなってみようかと思っているところですが…



そんな訳で、この先祖を辿る旅も
全部一人で描いて、全部一人で歩き通しました。
人の目には、寂しい旅に見えるでしょうが
私には、時を越えてたった一人でやって来た私を、きっと先祖は喜んでくれる…
そう信じて歩き続ける事が出来た、温かい旅でした。


2008年から2010年にかけて、観光や普通の史跡巡りも含めてよく一人旅に出ましたが
そのうち、2008年、2009年、2010年の夏の旅が
私にとって極めて意味のある旅となりました。
私の先祖に関する土地は、室町後期以前は全て関西方面(…の北の方)なので
これらの旅はみな、3〜5泊の少し長めの小旅行です。

(私自身は生まれてからずっと東京で
 室町後期以降〜江戸時代の先祖は、南関東→北関東と移動しますが
 そういう訳で、先祖的に一番長い歴史を刻んだ関西方面の方が
 自分の本当の故郷のように思っています、勝手に。)


室町時代に栄えたあの地、京都にいた頃
さらに遡って鎌倉時代以前の、今は山だけになった城跡
平安、奈良、飛鳥…
歴史と伝説の区別がつかなくなる時代まで、古い神社、古い土地を
ひたすら辿って行きました。

この頃は、ほとんど歴史の知識もなく
観光旅行の域を出ない拙い情報しか持っていませんでしたが
それでも、一人で見続けた景色のすべてが私には輝いたものでした。
もうそこには誰もいないけれど、きっと同じ海を、同じ空を、同じ峰を見ていたのだと
そう思って仰ぐ風景はどれもまぶしく
あの時は気付かなかったけど
それはいつしか、私の中に流れる "記憶" を呼び覚ましていたのではないかと…
私は行く先々で、先祖の記憶の欠片を探し求めていたけれど
もしかしたらそれは、初めから私の中に眠っていたのかも知れない―――


あれから、私が知った数々の歴史の中の未知を考えると
あの時私は知らぬ間に
目覚めた記憶をしるべとして
閉ざされた過去を現在に蘇らせるという未来を託されていたのではないかと
ふと、そんな風に思うのです。




…という訳で、今日のところはこの辺で。

ちなにみ、移動手段は公共の交通機関(鉄道、バス)と徒歩のみ、時々レンタサイクルです。
車を使わないのは、ペーパードライバーだからというのもあるけれど
やはり、鉄道と自分の足でめぐる旅は、土地の感じ方が全然違います。
お盆でバスが運休していて、最寄駅から片道50分歩いた神社までの道のりは
空の色さえかけがえのない思い出です。(←負け惜しみではない、決して負け惜しみではない)

観光スポットを回るのが目的なら、車はとても便利だけど
徒歩でめぐれば、旅は冒険になるのです。



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