2016年10月01日

歴史と絶望の間で

こんばんは、本サイト管理人です。
8月13日以来、更新が途絶えてすっかり寂れたバーボン室町となってしまいました。
(『Muromachi通り』の方はもっと悲惨… )
もちろん、急に店を畳んだ…とかいう訳ではなくて
8月の終わりくらいから、(史料に基づく)本格的な記事を書く時間が取れなくなってしまって
長らく絶望していました。
(状況が困難なだけではなく、それ以上に心が折れて再起してくれない… )

でも、いつまでも絶望していても真夜中は暗闇のままなので
学術的な研究に立脚した話は無理でも
普段思っている事、これまで思っていた事を
これから(出来れば)毎日、ひと言ふた言綴ってみようかと思います。
(それくらいの時間なら元々あったのですが、今日ようやく気持ちが動いた。)

つまらない独り言になりそうですが、やっぱりどうしても好きで好きで仕方ないので。
特に… 2014年の秋から "突然" 本格的に研究を始める事となった尊氏と直義については
どんな状況になっても、このさき一生心が離れる事はありません。

私が今いるこの場所が、たとえ絶望の果てだとしても
夜半に描いた日頭は、いつか闇を越えるかも知れない。



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2016年10月02日

6年前の始まり

こんばんは、今日もバーボン室町は閑散としております。
なぜって…
数日前の事なんですが、6年の歳月を共に過ごした私のパソコンが
突然の別れを告げて、永い眠りについてしまったので。

去年の年末の記事『Muromachi通り』「室町的鎌倉旅行記(その2)」の冒頭で
ちょっとトラブった話をしましたが
案の定、グラボが一番最初に逝ってしまいました。
まあ、データに被害はないので「脳内真っ白…」とかいう大惨事にはなっていませんが
(…たぶん。モニタに何も映らず、電源ボタン押して無理矢理シャットダウン
 を2、3回やったから絶対大丈夫という保証はないorz )
そんな訳で、現時点ではこれまでのPC環境は凍結中で
(ブログの更新だけならネットが使えれば出来ますが
 以前の書きかけの記事なんかは全く見られない… )
ただ、今は心にぽっかり穴が開いてしまって、物言わぬ友をじっと眺めているだけの日々です。

まあ、ダメもとで適当なグラボ買ってきて挿してみるという手もありますが
全パーツ気に入っていて思い入れが深いパソコンなので、そんな気も起きず
(↑去年グラボ換装しようとしたくせに)
これが別れの時なのだと思って、受け入れる事にしました。

ま、差し当たりまずはノートPC買おうかなと考えています。
新しいデスクトップ組むのは、過去が思い出になった頃に…


というか、単なるパソコンに傷心し過ぎだろwwwとか思われるでしょうが
でも、このパソコンは私の研究歴そのものだったので
色々と…色々と考えてしまう訳ですよ、今の絶望状況と合わせて。

(ここだけの話、私あんまりそういう事しないのですが
 このパソコンには名前付けて可愛がっていました。
 自分にはニックネームすら付けずに本サイト管理人とか名乗ってる匿名主義者なのに。)


というのも、今の研究を始めた最初の切っ掛けは
2010年の夏に、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の
「朝倉氏の家訓」と「朝倉氏五代の発給文書」という資料に出会った事でして
その年の秋に、それまで8年ほど(いやもっとだったかな?)使って
スペックもだいぶ低くなっていたメーカーパソコンから
ちゃんとしたPC環境を整えるために今のパソコンを新調したのですが
それが、この研究の最初の一歩でした。

私、実は別に全然パソコンに詳しい訳ではないのですが
初めて自分でパソコン組んだのに、すごく上手くいって、すごく気に入って
今考えると、その後研究がどんどん進んだのも、このパソコンとの出会いも
偶然だとは思えないのですよ。
6年前からすべて繋がっていたのではないかなって
当初は『応仁の乱』と『明応の政変』に特化するつもりだったのに
2014年の秋から突然、尊氏と直義の世界に身を投じる事になったのも
全部、決まっていた事なのではないかって…
だから、今、このパソコンと別れる日が来たのも
それは何かの区切りとか、終わりであると同時にきっと始まりなのであって
歩みを止める時ではなく
私には、どうしても言わなければならない事がある気がして
今ここでやめる訳にはいかないと
そういう気持ちで、折れそうな心を支えております。



なんか思った以上に長くなってきたので、今日のところはこの辺で。
ほとんど推敲もせずに思った事を思った順に綴っていくのも、たまには良いものですね。
(いつもは自分でも挫折しそうになるくらい何度も読み返して推敲しまくっている。)

なんだか、荷物が少し軽くなっていく気がする。



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2016年10月03日

蘇生

こんばんは、今日は…
新しいノートPCを買って参りました。

なんか、間に合わせのサブ機にするつもりだった当初の予定とは違って
メインになってしまうもの買ってしまいました。いやはや。
でも、デスクトップは欲しいPCケースが在庫無しで入荷もまるで未定で組もうにも組めないし
まだこれまでのパソコンを失った傷も癒えてないし
何より、全然予想していなかった機種なのに
数日前に下見して以来、いつの間にか
「これしかないよなぁ…」という気持ちになってしまったのは
そういう事なのかな、と。

どういう事かって… きっとこの新しいノートPCには
私が愛した初めての自作パソコンの魂が宿るのだと。

…とか言い出すとあほかと思われそうですが
でも、6年前にあのパソコン(※正確にはPCケース)に初めて出会った時を
思い出してしまったのですよ。
(あの瞬間の高揚から、天気、来ていた服まではっきり覚えてる、ちなみに同じお店。)
そして
「これまでが終わって、これからが始まるんだ…」という気持ちが自然に込み上げて来て
なんか一瞬泣きそうになった、店で。

まあ、自分でもバカだなとか思わなくもありませんが
もともと私は、何かを強く好きになる事があまりなかったので
好きになったものには意味があるのだと、そう思うようにしています、最近は。

ろくに研究も、まともなブログ記事も書けない日々ですが
不思議なもので、そうなると逆に一層
自分がどれだけ直義が好きなのかを思い知らされるのですよ。

なんでこんなに好きになってしまったのか、そこに意味があったらいいな…
と思ったりしています。



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2016年10月04日

未来

こんばんは、昨夜起動したノートPCに
少しずつこれまでの相棒の記憶を吹き込んでおります。
ちなみに、幸いな事にデータはすべて無事でした。わーい。(カラ元気)
もうシステムとして起動する事はないけれど
これまでの日々が夢ではなかった事を噛みしめつつ、6年前の始まりを追体験しております。

まだネットとメール環境しか整ってないし
Windows10デビューしたてで色々アプリが意味不明だし
ソフトとドライバのインストールが全然ですが
一通り終わった時にはきっと、なんか… 飛べる気がする!
と思って頑張りたいと思います。

実際、これまでミドルタワーのわりと大き目な筐体だったのがモバイルノートになったので
本当に飛べてしまいそうな訳ですが
でも心の翼が折れたままなのでどうにも…


というか、普通新しパソコンなんて買ったらもっと無駄にテンション上がるだろ!
とか思われそうですが
私は基本が(極度の)絶望系の人間でして、テンション低くてすみません。
これは、同系統の方なら痛いほど分かると思いますが
私のような絶望感受性の優れて高い人間は、絶望受容体が発達している…というか
たぶん脳に「絶望野(ぜつぼうや)」とかあると思う。(←視覚野とか言語野みたいなやつ)
あるだけで人生が無駄にハードモードになる特殊領域
普通の人はニューロン1コ分も無い。

だから決して理解される事がないので、絶望野を持って生まれてきてしまった私たちは
場末の片隅で隅っこ人生を送るしかないんですよ。
でもくやしいから、こっそり開発中のAIに絶望野を仕込む天才科学者がいて
やがてそのAIが次世代AIの圧倒的主流になって
そうしたら人間世界の価値観は近い将来、大部分はAIに規定される事になるだろうから
(↑と、私は考えている。これは結構シャレにならない話ですよ。
 人類は早急に、AIに凌駕されない確固たる価値観や道理を発達させなければならないのに
 現在の人類は煩悩に我を失い過ぎている。今のままなら…
 未来の人類は自由と進化を失った生き物になってしま… まあそんな話は今はいいか)
とにかく、そんな事(=絶望AIが社会のスタンダードを独占、なんて事)になったら
つ、遂に、万年非リアな私たち絶望系の人間が日の目を見る事に!!
…って、隅っこじゃないと生きられない絶望人間に日が当たったら
もっと弱っちゃうじゃないですか!!


ところで、尊氏と直義ならどちらが絶望野を持ってそうだと思いますか?
尊氏は根っからのお気楽能天気気質で、苦悩を感じ易いのは直義の方…
というイメージが主流になってしまっていると思いますが
実際は、直義はかなりポジティブ、ネガティブなのは尊氏だと思います、はい。

というのも、絶望野を持った人間って仮面を被るので(←しかも多くはワロス仮面)
一見、正反対な人間だと思われがちなのです。

…という、尊氏直義関連の誤解を解きたい、というのも私の大きな目標の一つです。
性格もそうだけど、周囲の人間関係もかなり違うんですよ、うん。
まあ、その辺の話はまた明日にでも話すとしますか。



ところで、上で「AIに凌駕されない確固たる価値観や道理」と言いましたが
このヒントって、普通は "未来" に探そうと考える人が多いかも知れませんが
実際は… それは過去にあるのです。 つまり、"歴史の中" に。

だからこそ、歴史というのは徹底的に "正しく" 解明されなくてはならないし
(↑親しむ為の歴史ならもちろん、楽しさが第一で
 好きでさえあれは他に何もいらないと思いますが
 研究としての歴史は、厳しいくらいに正確でなければなりません)
それは単に過去の記録を目的とした学問とか、趣味や娯楽の枠にはおさまらない
非常に重要な意義を秘めた存在なのです。

人類の未来がかかっている… なんて思っている人は、研究者の方にもいないかも知れませんが
(てゆうかまあ…いないよね、普通に考えて)
でも、人類に示された2つの世界線と、歴史学だけに託された可能性を考えた時
もしこのまま歴史の本当の意義に世の中が気づかぬままならば…(絶望)
と考えてしまう私の絶望野は、強く警告を発しています。(←絶望野もたまには役に立つ)


手遅れにならないうちに… なんとしても―――
それには、尊氏と直義の助けが必要なのです。


ちょっと大きな事言い過ぎなんじゃないのぉ〜 とか思われそうですが
わりと本気で言っています。



posted by 本サイト管理人 at 23:56| Comment(0) | ☆開店休業中(2016.10.1-2017.6.13)

2016年10月05日

希望

こんばんは、昨日の脳内特殊領域「絶望野」(ぜつぼうや)の話ですが…
実は直義のが断然ポジティブで尊氏はネガティブとは言いましたが
しかし、直義も立派(?)に絶望野を持っているタイプだと思います。
ただし、直義のは健全な絶望野で(そんなのあるんだろうか…)
尊氏のは不健全な絶望野… (←これが本来の絶望野)

すみません失礼な事言いました。
でも不健全系絶望野を持っている人たくさんいるはずなので(たぶん)
ちょっと心のどこかが反応してしまっていると思います。 わ、分かる…みたいな感じで。
でも普通の人は反応しないものなので、反応しちゃった人は絶望して下さい。はぁ…

まあ両者の違いはと言えば
健全な方を持っている直義は、絶望(=苦悩)する時もあくまで素直でポジティブ
隠す事も否定する事もしないですべて認めて受け入れるから
闇を乗り越えようという強い気持ちが生まれる、といった感じでしょうか。
不健全系の尊氏は… (何度も繰り返してきましたが)
「ワロス仮面」を被って闇を隠し、誰にも本心を見せません。
でもそれって、すごく強い事だと思います。
特に、尊氏に約束されていた過酷な運命を考えると
よく最後まで遁世せずに頑張ったな…
と心の底から感心してしまいます、同じ絶望野ホルダーとして。

これほど強く逞しい将軍だから、絶大な人気を集めて時代を導く事になったのでしょう。
あれほど様々な人間が登場した時代ですが
尊氏が歴史の主人公となったのは偶然ではなく、完全な必然だと思います、はい。


ちなみに、絶望野を持った絶望系の人間ってのは
ワロス仮面の下の素顔はただひたすら暗いだけの
なんでも絶望しなきゃ気が済まない純ネガティブ100%人間
…とか思われているかも知れませんが、実はそういう訳ではありません。
まあ、楽しく生きる上では絶望野なんて無い方がいいに決まっているのですが
でも…
絶望の淵という果てしない闇を知っている脳は
それゆえ、その対極にある "希望という光" への感受性もまた極端に強い
という特性を持ちます。
その闇が深く過酷であるほどに、そこに生まれる光は一層強い閃光となるのです。


私が「尊氏も直義も絶望野を持っている」と言ったのは
別に「(自分が持っているから二人も同じ属性に…にやり)」とかいう下心からではなく
彼らが絶え間なく続けた祈りの大きさは
大いなる闇を知っている人間にしか追い求められない、あまりにも強く輝く希望だと思うからです。

二人が感じていた闇と光を追究する事は、歴史を正確に解明するために不可欠な要素です。
いわゆる実証主義の歴史学では、ここまで深い人間的内面には
踏み込まない事が暗黙の了解になっているような気がしないでもありませんが
しかし、それではやはり不完全なのです。

(分かる事しか解明しない…のは実証主義の落とし穴であって
 分からない事こそ解明に挑むのが本当の学問だと思う。)

何より、こういう事って史料を徹底的に読み込めば結構正確に見えてくるのですよ
ただし、絶望するくらい徹底的に。



さて、今日は二人の周囲の人間関係の雑談をしたかったのですが
希望の話で終わってしまいました。
あーいや、絶望の話をしていたんでしたっけ、はぁ…



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2016年10月06日

明日を知らない

こんばんは、今日は新しいノートPCにクリスタを入れてみました。
(※クリスタ=クリップスタジオ。私が使っているペイントソフト)
ノートPCでお絵描きは難しいだろうなぁ…と思っていたので
そこそこ使えそうな感じに満足ですが
まあ当分本格的に描くのは無理かな〜 でも慣れれば結構いけるかな〜
…とか、まだいまいち空っぽなまま戻ってこない心で空想だけしています。
とにかく何でもいいから描きゃいいのに。

研究もブログもお絵描きも、どうにも今までのままのやり方が止まってしまって
前に進まなくなってしまいました。
これまでが終わったのに、これからが始まらない…
という袋小路で、どっちを探せば明日があるのか、ヒントすら掴めません。

いつか、今が過去になった時に振り返ってみれば
未来を知らずに生きていた今の自分は、おかしな事で悩んでいたと
明日に進んだ私に笑われるのかも知れないけれど。


未来は分からない、というのは当たり前の事なのに
未来から見ると、このあまりに "当たり前" の事が下らなく見えてしまって
でもそんなの「未来の錯覚」でしかないのに―――
…というのは、遠い歴史の真実を求め続けた日々の中で、気付いた事の一つです。


歴史の本当の姿を描き出すには
「結果を知っている私たち」の目線ではなく
どれだけ「未来を知らない彼ら」の目線で史料を読解出来るか
という事がとても重要です。
どちらの目線で見るかによって、一つの史料が全く違った意味になってしまうのですから。

特に、当時の人々が "その当時" を綴った軍記物や歴史書なんかは…
例えば、尊氏直義時代なら『太平記』や『梅松論』などですが
上記の点が非常に重要な意味を持ってきます。
これらは、その執筆意図について色々な憶測がなされていますが
(しかも大抵はあまり良くない意味で)
しかし残念ながら
「彼らの未来を知っている私たちと違って、彼らは自分たちの明日を知らない」
という最も重要な視点で論じているものは
驚くほど少ないのが現状で、それゆえ、結論が主観的な感想に留まってしまっている…
(…とか失礼な事言ってすみません。しかし歴史学の進化発展のためには
 どうしても意識の改革というものが求められます。)


一つの時代が終わる事も、一つの時代が始まる事も
未来に大変革がある事なんて…
ほとんどの人たちは、変わらぬ今が続くだろうと、そう思って生きていたはずで
『梅松論』が太平の日々で物語を終えているのだって
少なくともそれを書き始めた時点では
その後に『観応の擾乱』と名付けられるような天を裂くほどの事件が起こるなんて
誰も知らなかったし、誰も望んでなかったのです。
「隠してる」とか、「繕っている」とか、そんな風に穿つ資格が未来にあるのだろうか…
そう私は常々思っています。



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2016年10月07日

本当に必要なもの

こんばんは。
今日も新しいノートPCにちまちまとソフトのインストールやデータの移行を行っております。
あともう一息で元の居心地が完成しそうです。わくわく。(からテンション)

パソコンって、使っているうちに中身がごちゃごちゃして来てしまって
これなんだっけ?とかいうファイルとかソフトとかが増えてくると
頭の中がとっ散らかったようでむずむず落ち着かなくなって来るので
前回のようにデータ用のHDDを換装したり、今回のようにPC自体を新調した時は
今度こそ!今度こそ!という思いで
本当に必要なものだけ、きちんと把握できるものだけ
片隅に収まるだけの荷物に減らして
シンプルPCライフを目指すべく環境を整えております。
「無」の境地です。 ちーん。


まあ、人生においてもいつの間にか荷物って増えていて
でもそれは「ごちゃごちゃ」という不快ではなく、「にぎやか」という幸せなのであって
そういう "彩り" から生まれてくる様々なものが
生きることを楽しくするのでしょう。

な の で す が
私はどうも、急に荷物を手放したくなってしまう衝動にかられるタイプでして
色々なものをそぎ落として、増えるたびにそぎ落として、そして
気付いたら虚無の隣に立っていた…


まあ、そんなどうみても苦行モードでしかない虚無ライフ
私も望んでいないのですが(そりゃそうだ)
そういう方向に勝手に足が向いてしまうのでしょうがない…
絶望に事欠かない人生です。


でも…
そんな人生的にゲームオーバー感が漂う世界の果てで
減らし過ぎた荷物と軽くなった体で私は… 出会うはずのないものに出会いました。

 室町と、その先に待っていた尊氏直義

それは、生まれる前から決まっていた事なのかも知れないけれど
でも私は、それまでの人生でほんのひとかけらの予感も感じた事がなかった出会いでした。



posted by 本サイト管理人 at 23:57| Comment(0) | ☆開店休業中(2016.10.1-2017.6.13)

2016年10月08日

これからの世界

こんばんは、新しいノートPCを迎えて5日が過ぎました。
だいぶ旧環境が整いつつあります。
でもこのパソコン自体の新機能は全く使いこなせていません。
タブレットPCなので、色々可能性は無限大なのですが
そういう最先端でオシャレな情報にはめっぽう疎いので、どうフル活用したらいいのか分かりません。
え、何、とりあえずスタバとか行ってドヤ顔すればいいの?
で、おもむろに絵でも描き始めて「キャラメルフラペチーノなう」とか尊氏あたりに言わせてネットに上げてとぼとぼと帰路につく―――
…とかいう考えただけで絶望しそうな利用法。
誰か試してみて下さい、報告待っています。


まあ私としては、このノートPCはこれまでのデスクトップPCの生まれ変わりなので
不動だったデスクトップから、どこへでも行ける自由を手に入れる事になった意味を考えると…
え、一緒に空でも飛んだらいいの?
で、天空のスタバで「キャラメルマキアート飲んでます」って直義に言わせて云々…

ちなみに、起動6周年まであと1か月というところで最後の日を迎えたこれまでのパソコンですが
初めて店頭でPCケースに出会ったのが2010年の10月10日で
その後せっせとパーツを揃えて、電源ボタンを押した瞬間の「起動記念日」が
その月の26日でした。
誕生日は、いつも10月です。



さて、コーヒーの話はこのくらいにして、コーヒーのお供に歴史の話も少し。
私は、歴史小説を読まないので巷の情報にめっぽう弱いのですが
尊氏直義関連の研究を初めてから、どうも「世間一般でメジャーな人物に偏りがある…」
…と感じ始めたという話は以前しましたが
どうやら、尊氏や直義周辺の人間関係も
小説の影響を強く受けたイメージが定番となっていらしいですね、はい。

というのも、尊氏というと必ずというほど佐々木道誉がセットになっている…というか
なんか友達とか親友という事になってる??なぜ??
(もちろん、小説自体を批判するつもりは全くありません。脚色があるから小説なのであって。
 ただ、実際の関係とはだいぶ違うという話です、はい。)

まだ、尊氏と足利家執事の高師直が近い関係だったというのなら分かるのですが
しかしこれもよくよく調べてみると、尊氏よりむしろ直義の方が
執事高師直の主君として近い関係にあった、と言っても過言ではないのですよ。
…いや、過言でないどころか、それが実際の当時の現状なのですよ、はい。
はぁ??? とか思われそうですが
私も、普通に「直義と高師直は全く相容れない関係」…と思っていた頃は
大日本史料を読んでて、あまりに直義の外出エピソードに高師直が登場して来るもんだから
はぁ????? でしたよ。
だって、「尊氏と直義の外出に高師直が随伴していた」という話ではなく
「直義のみの外出に高師直が随伴していた」ってエピソードが
私が見つけた限りでも…

暦応元年10月22日 石清水八幡宮
暦応4年2月10日 八幡(どこかは不明。六條八幡宮?)
康永3年5月17日 新熊野社(先日の記事「夏の室町くん」の足利高経の話のやつ)
貞和元年4月18日 諸社(いろいろ廻った)
貞和2年3月1日 天龍寺
貞和2年3月13日 醍醐寺花見

…って、こんなにあるんですよ。
(※ただし、随伴者は高師直のみではなく他にも大勢いる。)
これは尊氏の場合に比べて圧倒的です、ってゆうか
「尊氏のみの外出で高師直が随伴…」ってエピソードはほとんど無かったような…
(↑すみません、これは不確か情報です。
 ただ、今は気力がなくて史料を調べる余裕がないですorz すまん。)


以前「直義と高師直の関係は一般に思われているのと全然違う」と言いましたが
私は前々から、直義の非常に高い地位と、高師直の執事としての立場を考えると
「二人が(対等な敵として)敵対していた」という史観には
かなり強い疑問を抱いていたのですが
実際、高師直は、主君が困るような私曲や不正を行うという事は出来ても
独自の政策を出すような立場にはなかったようです。
つまり、基本的に幕政では直義の指示のもとに動いていたと。
だから、もう一つの幕府なんてやっぱり幻だったという事と
直義と高師直の関係の先入観を一度リセットしてから、各史料を読解し直す必要がある
という事です。

なにそれ今更!これまでの世界観どうなんのさ!!
って感じですが
でも、新しい世界が待っていると思えば楽しいではないですか。


これまでがあったから、これからが始まるのです。
私も6年前は、あの時出会ったこのパソコンとコーヒーを飲みに行ける日が来るなんて
思ってもいなかったのですから。



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